正しい選択はどうすればできるのでしょう
2011.07.22 Friday 14:51


質問者    何かを選択をしなければならない状況がある場合、
どちらを選べばいいのかをどうやって知ることができるのでしょうか? 

ガンガジ   あなたにはどうなさっているのですか?

ご自分の真実を否定なさっているとき、何かサインが感じられますか?

重要な質問ですね。

私たちは、
思考に頼り、
『あっ、こっちが正しいな』と判断し、
あるときは感情に従い、
『これが正しい選択のような気がする』と決定し、
またあるときには、
『よし、直感が働いた! 絶対これだな』と、
そのようにして選択する訳ですが、
何に従って決定したとしても失敗することがあります。
だれもが経験しています。
そういう失敗を何度もしていますね。

(笑い)

質問者    決定する前にどうやってそれが正しい決定なのかが
まだわかりません。

ガンガジ   わかるような何かではありません。

質問者    自分で気づいているのは、
真我に従った決定を行ったときには、後に、
こみ上げてくる歓びのようなエネルギーがあります。
正しい選択だったという確信というのでしょうか。
でもそれは、後から感じることです。

先にそれがわかるにはどうしたらいいのかなあと。。。

ガンガジ   どうやってコントロールできるかという訳ですね。

(笑い)

質問者    まあ、そう言われればそうです。

ガンガジ   どうやったら、思い通りに仕切れるか。

質問者    そういう言い方もできるかもしれませんが。

ガンガジ   ただ一つの答えは、

“私たちには知る由もない” ということです。
“わからない” 

それだけです。

あるがままに心を開き、そこから発見なさることです。
誤りをおかすことに喜んで心を開く意図をし、
真実を語ろうという意志を持つことです。
つまり、
どのようなことが起ころうとも、
それを喜んで体験しようという意志を持つことです。

質問者     行動を起こすという意味ですか?

ガンガジ    止まる。のです。

そして何が起きるのかを待つのです。
もしそこで行動が起きるのなら、そのようになさればよいでしょうし、
行動が起きなければそれもよいでしょう。
その後、どのように展開していくのかを発見なさればよいでしょう。

はじめに、STOP。
止まるのです。

とまれば自然に開きます。

質問者     考えることをやめるのですね。

ガンガジ    ええ。

私たちは、ああでもない、こうでもないと、考えます。
それをただ、やめるのです。

“何もわからない”

わからないままに、
心を開く。

パパジが、
待って、見守る。
ということをおっしゃいました。

『やってみましょうか、どうしましょうか』
と、質問する者たちに、

『待とう。
まだ、心に落ちないから。』
と、パパジは答えました。

そうすれば誤りを犯すことがないという意味ではありませんよ。
誰だって誤りを犯します。
神だって間違います。
皆さんも同感ではありませんか?

(笑い)

誤りは人生の経験ですね。
私たちは誤りを恐れます。
自分や誰かを傷付けるかもしれません。死ぬ程までに。

もちろん恐れた方が良い場合というのも確かにあります。
でも、
誤りを犯かすことに対し非常に大きな恐れを抱くことは、
非常に大きな誤りです。

(笑い)

隅の方にいて、
知識を増やし、
これはいったいどのような意味だろうか、
どうすれば良いだろうかと方法を考えてばかりいて、
そして、突然、気づくと死ぬときがやってくるのです。

(爆笑)

誤りを犯すかもしれない。
誤りはあなたを死に至らしめるかもしれない。
これが人生の現実です。
家の中にいても死ぬかもしれませんしね。家が崩れて。
地震や津波が世界のあらゆるところで起きています。
そういうことが起きることは誰もが頭では理解できますが、まさか自分にとは思いもしないでしょう。
そして、こうすればきっと大丈夫だろう、ああすれば大丈夫だろうと、免れる方法を
あれこれと考えます。

もちろん私たちには考えて予防する能力もあります。思考の役割は重要です。

でもあなたは、“止まる” ことができます。
そして心を開くのです。

(ガンガジ、胸の前で両手を大きく広げる)

ご自分で発見なさってください。

そうなれば、あなたの人生は探求となります。
発見の人生です。
身体的、精神的、感情的、状況的な発見という多次元の発見です。

そうなると理性は、仕切るかわりに従うことになるでしょう。
理性は、理解しようとがんばるかわりに、

『あれっ。わあ、そういうことか』
と、発見をするでしょう。

『こりゃあ、失敗だったか。』
『わあ、ひっぱたかれたぞ。』

またはその逆かもしれません。

ひっぱたかれたかと思いきや、
実は、最高の快挙であった。

が、
そう思ったとたんに、はり倒されたと。

(爆笑)

ですからね、結局のところ、

わからないんです。

わかろうとするのを止めるというよりも、
“わからない” と気づけばいいのです。

そうでしょう?
初めから何もわからないのです。

なんという解放ではありませんか?


わかろう、理解しよう、となさるのが混乱の原因です。
理解したいのに理解できないという欲求不満があるのでしたらそれを助け舟として利用することができます。

内側に炎が燃え上がるのを許してごらんなさい。
胸の奥に熱がありますね。エネルギーです。

理解したいから、なんとかしようと画策したり、自分にむち打つかわりに、
ただこのエネルギーが胸の奥に燃え上がるのを許してご覧なさい。

人生は冒険ですね。
その中には、死んで動かないような部分もあれば、聖なる部分や
ごくありきたりの部分、危険な部分や、至福の部分や、退屈な部分もあることでしょう。でも、あなたがそれらすべての核なのです。
失敗の中に、成功の中に、あらゆる瞬間の中に、そのような部分を発見するのです。

あなたが、失敗だと思ったその瞬間に、
よし!と言って向き合うなら、失敗は大変大きな助け舟です。
もちろん失敗はうれしくはないでしょう。でも、力があります。
そして役立ちます。

理解しようと思考を働かせず、わからないままでいることをご自分に許してごらんなさい。