熊本の病院で。 | かのんのんのブログ 肺がんの旦那さんと一緒に

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H25 6月、旦那さんが肺がんの診断されました。

翌7月に右肺を切除。術後抗がん剤治療をしましたが、H26年3月に再発、全身骨転移、胸膜播種の診断。
分子標的薬のタルセバ開始。その後、治験も含め治療しましたが、H28年 10月18日旅立ちました。ありがとうございました

こんにちは。
先日のブログにいいね。ありがとうございました
旦那さんの悪くなってからの事を忘れないように書いておきます。

この先、全く良い話はないので、注意してくださいね
























熊本でのお話しですが、しっかり診て頂いて脳転移は軽く50個は超えていました。

全てが小さくて、脳浮腫をおこしたり、麻痺を起こす事はまだないだろう。
やはりするなら2回目の全脳照射がよいと思うと言われました。
何度も何度も見て、どうにかしてあげたいと思ったけど。
頑張って全てノバリスで当てれない事もないけど、意味がない。
今、がんがラッシュの状態だからまずは原発を制御しなければ、頭の治療をしても肺から新たに飛んでくるだけ。

とりあえず、ジオトリフをしてみて少しでも改善できれば、小脳あたりはほぼ全脳照射と変わらないだろうけど、一つ一つに照射して、ほかは普通に治療できるからと話されました。

放射線科の先生からは、熊本まで来ての治療は本人も家族も負担だろうから、今の病院で2回目の全脳照射をしたらどうかとの提案もありました。
旦那さんは1回目の全脳照射での副作用でもう2度としたくないと思ってる事。
ここで、治療が出来ると思ってる事をお話ししたら、
『じゃあ、まずは全身治療して落ち着けばおいで。頑張って全部治療するから。』と言ってくださいました。


さすがに50個以上の脳転移…涙しか出なくて、しっかりお話し出来なかったのに、ゆっくり時間をとってくれて待ってくれた先生でした。

病院を出て、帰る途中も旦那さんにどこまで言おうか?考えてもなかなか答えがでませんでした。


旦那さんの病院に着いて本人の所へ。
『どうだった?夜勤前なのにごめんね。』
と相変わらず痛そうではありましたが、私を気遣い変わらない旦那さんでした。
『とりあえず、先に痛みの治療と全身治療をして、落ち着いてから治療だって。数は少し多いけど、みんなまだ小さいから。治療は出来るってよ。』
としか伝えられなかったけど、治療出来ると聞いた旦那さんは安心した様子でした。
とにかく旦那さんは、『自分が自分でなくなる事は嫌だ。』その事だけは強く想っていたので。

そして私は逃げるように仕事に行きました。
主治医はあと2日夏休みで不在でしたが、まだまだ私も旦那さんも時間はあると思ってました。