かのんと「こんにちは」をしてから、もう少しで3年になる。
響輝も、かのんに見守られながら、元気にすくすくと育ち
休むことを知らないかのように、めまぐるしく動き回り、日々いたづらに精を出している。
母も、あの緊迫した状態から、何とかもちなおし、少しずつ通常の生活ができるようになってきた。

余談だが、母は、あの入院で偶然にも胃ガンが見つかり、4月8日の私の誕生日に
7時間半にもわたる大手術をした。
幸いなことに、術後は大きなトラブルもなく、順調に回復している。
響輝の出産時の入院のことを訊ねると、まったく覚えていないらしい・・・。
気がついたら病院に入院していたと言う。
ただひとつだけ、私が元気な男の子を生んだと聞いたことだけは、ちゃんと覚えていたようだ。
病院の先生や、看護婦さんに、孫が生まれたと嬉しそうに報告していたと、妹が言っていた。



2002年8月2日、かのんの2歳の誕生日。
行きつけのお花屋さんで、かわいいフラワーアレンジメントを作ってもらった。
夏生まれの、かのんだから、アイスのバースデーケーキを買ってあげた。
かのんも、2歳になっておしゃまに成長しているだろうから
はっぴを着た、かわいいお人形を買ってあげた。
そして、やはり夕方から、ものすごい雷雨となった。

2年前のあの日の雷は、泣くことができなかった、かのんの産声だったのかもしれない・・・。
そして、この日、2回目のお誕生日。
おしゃべりができるようになったかのんが、お誕生日のおねだりをしていたのかもしれない。
「ママ、抱っこして。」と・・・。

それからのことは、全身麻酔に切り替えたため、何も覚えていない。

「○○さん、おめでとうございます。」  先生の声が聞こえた。夢にまで見た言葉・・・。
「頑張ったね。おめでとう。よかったね。」  お義父さんと、義妹の声が聞こえた。
「頑張ったね。お母さんに、報告してくるね。」  私の親友のお母さんの声が聞こえた。

「ひかり、頑張ったね。よかった。よかった。」 かずちゃんの声が聞こえた。
この時、かずちゃんは、何度も何度も「よかった。」と繰り返していた気がする。
「赤ちゃん、生きてる?」
「うん。生きてるよ。大丈夫だよ。」
かずちゃんの「大丈夫。」を聞いて、安心したのか、再び意識が遠くなった。




看護婦さんが、赤ちゃんの写真を持ってきてくれた。
元気そうな男の子の写真。
「お父さんだ・・・。」
お空の上で、かのんの世話をしてくれている父に、とてもよく似た表情をしていた。
涙があふれて、顔が歪んで、息ができなくなった。

「○○さん、おめでとう。」
担当してくれた助産婦さんが、目を真っ赤にしてやって来てくれた。
「ありがとうございました。」
「本当に頑張ったね。おめでとう。」
彼女は、ポロポロと涙を流しながら、笑ってくれた。
「あの時は、○○さんにどうやって声をかけたらいいのかわからなくて・・・。
ずっと、気になっていたんだよ。本当によかったね。
私が泣いちゃダメなんだけど、涙が止まらなくて・・・。ごめんね。」
私も、わき目も振らず泣いてしまった。




看護婦さんが、赤ちゃんを連れて来てくれた。
「ほ~ら、お母さんだよ。抱っこしてもらって~。」
かのんと同じように、私が用意した黄色いバスタオルに包まれて、赤ちゃんがやって来た。
まだ、術後間もないので、ベットに横になったまま、右腕で抱っこさせてもらった。
赤ちゃんは、くねくねと動きながら私の右腕にやって来て
しばらくするとウトウトしはじめた。
「かのんと違う顔だね・・・。似てるけど違うね・・・。
かのんじゃないね~。
かのんは、おねえちゃんになったんだね。」
目が溶けてしまうのではないかというほど、涙があふれてきた。
そんな私を、かのんは写真立ての中から、ニコニコしながら見ていたに違いない。
かのんを抱っこした左腕が、かのんの重さをよみがえらせ、両腕でふたりを抱っこしているような気がした。

かのんの弟は、「響輝 (ひびき)」と命名した。
かのんは、夏の音のかのん。
かのんの夏の音を響かせて、輝かせてくれるように
そして、自分自身も、色々なことに響き、素敵に輝けるようにと命名した。

~2002年1月22日~
母がそばにいない不安と、無事にお腹の赤ちゃんが生まれてきてくれるかという不安を
頭の中でグルグル混ぜながら、帝王切開の時間を迎えた。
手術室に入る前に、手術着でベットに横たわっている姿を、写真に収めた。
かのんの時と同じように、お腹の形と大きさがわかるように、かずちゃんに写真を撮ってもらった。

今回の出産は、不妊時代から今まで、ずっとお世話になっている担当の先生が執刀にあったってくれた。
そして偶然にも、かのんを取り上げてくれた助産婦さんが、助手としてサポートしてく
れた。

こんなにも心強い環境の中、赤ちゃんを産むことができるのは
かのんのおかげかもしれないと思った。

手術室に入ると、心地よい音楽が流れていた。
本当は不安で仕方がないはずなのに、かのんと父に、頭を撫でてもらっているような不思議な感覚に包まれ
手術台の上で、赤ちゃんの産声を待っていた。
聞きなれた先生の優しい声が・・・。
「出てきた!!」
その後で、ずっとずっと待っていた泣き声が聞こえた。
生きている証拠の声を聞いた。
その途端、かのんと「こんにちは」した時からのことが
走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
涙が次から次へと溢れてくる。
目を閉じても、涙が溢れる。
でも、かのんの姿はずっと私には見えていた。
いつの間にか、私には心の目ができていたようだ。
「かのん、おねえちゃんになったね。」

~2002年1月22日~
母がそばにいない不安と、無事にお腹の赤ちゃんが生まれてきてくれるかという不安を
頭の中でグルグル混ぜながら、帝王切開の時間を迎えた。
手術室に入る前に、手術着でベットに横たわっている姿を、写真に収めた。
かのんの時と同じように、お腹の形と大きさがわかるように、かずちゃんに写真を撮ってもらった。

今回の出産は、不妊時代から今まで、ずっとお世話になっている担当の先生が執刀にあったってくれた。
そして偶然にも、かのんを取り上げてくれた助産婦さんが、助手としてサポートしてくれた。
こんなにも心強い環境の中、赤ちゃんを産むことができるのは
かのんのおかげかもしれないと思った。

手術室に入ると、心地よい音楽が流れていた。
本当は不安で仕方がないはずなのに、かのんと父に、頭を撫でてもらっているような不思議な感覚に包まれ
手術台の上で、赤ちゃんの産声を待っていた。
聞きなれた先生の優しい声が・・・。
「出てきた!!」
その後で、ずっとずっと待っていた泣き声が聞こえた。
生きている証拠の声を聞いた。
その途端、かのんと「こんにちは」した時からのことが
走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
涙が次から次へと溢れてくる。
目を閉じても、涙が溢れる。
でも、かのんの姿はずっと私には見えていた。
いつの間にか、私には心の目ができていたようだ。
「かのん、おねえちゃんになったね。」