彼女はモンゴル人。

彼女はモンゴル人。

ニッポン男児とモンゴル女子の日々

以前、在日本モンゴル大使館のウェブサイトが開かなくなっていましたが。やはりお引越しでした。ここ十年近くで5度目になりますね。2014年末から再び変更しておりました。


日本人向けのモンゴル全体の安全情報は外務省海外安全ホームページから、ウランバートルの安全情報は在モンゴル日本大使館のウェブサイトから確認できます。

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あまりにも久しぶりにブログを書くことになり。
妻、4歳の娘と、0歳の息子の4人家族になりました。
忙しい毎日。このブログを書かない間も、
日本とモンゴルがより近い関係になってきています。
両国の架け橋になれるように、日々努力しているところ
でございます。

ここまで、長い長い道のりでした。まだ、
披露宴は先になりますが、登録は昨月に終えました。

一つ勘違いしていたことが有りました。
彼女はモンゴル国籍のままなので、フルネームが
かわりませんでした。

日本の場合、結婚後の姓は、相手国の方に従っているため、
モンゴルでは結婚によりラストネームがかわりません、
一生、父親か、母親の名前です。
よって、日本人への帰化はまだまだ出来ないので、
モンゴルの法に従い、フルネームはかわりませんでした。

どのような手続きであったかは、おいおい説明するとして、
モンゴル大使館の事務が、僕らの結婚証明書の僕の国籍を
モンゴル国籍と書き間違えたぐらいが印象でした。

結婚からビザ変更まで、
モンゴル大使館に、書類要請
区役所に結婚届と、モンゴル大使館での提出
再度モンゴル大使館で、結婚届けを提出、
その後は入管にてビザの切り替え。
さらっと流れはかけますが、一つ一つが面倒な書類作成。。。

後日また。







ご無沙汰です。

昨日、将来子供ができたらどのように育てようか、など気の早い話をしました。
彼女は日本の子供たちは、子供らしくのびのびしていると、感じています。
特に、園児が横断歩道を手を挙げて渡る姿が、小さいのに、精一杯体を大きく見せるようにしているのが、かわいらしいとか。

彼女の子供時代は、モンゴルは物がなく、両親が働いても働いても、とてもやり繰りするのは大変で、両親は同居する親戚の子供の面倒までみていたので、大変だったそうです。
さらに彼女の家系では、両親は末っ子が面倒をみるらしく、父親が末っ子だったので祖母が家にいて、大家族だったそうです。

小学校5、6年生の頃、新学期が始まるのにノートが買えないほどで、一つ上のお兄さんが山で松の実を集めて、路上で彼女と売る事で、やっとノートを買うことができたそうで。他にも小学生ながら、瓶ジュースをダースで買い路上でバラ売りしていたそうです。クラスメートに見つかり、学校で暴露されるなど。

そうしながらも、彼女の3兄弟皆、大学の成績は常トップで、塾にいやいや行きながら大した学力もつかなかった自分には頭が上がりません。

僕がよく日本は難しいなどいうと、彼女は難しい難しいといっていたら何もできなくなる。本当に厳しい生活をしてきた彼女の言葉には重みがあります。

僕が2005年から2007年頃でも、モンゴルでは多くの子供が路上販売をしていましたが、2011年に行った時は、ほとんど見かけませんでした。