6枚目の写真は、長崎県の平和公園だ〜
この写真のコメントには、
「最南端の鹿児島から北上し、たどり着いたのは
次の漢方相談の地、日本最西部の“長崎県“です
長崎といえば長崎ちゃんぽんでしょう
漢方相談を続けながら、
チャンポンやパリパリ麺の皿うどん、新地太麺、
中華街では角煮まんを頬張り、
あまりの美味しさに永住を検討する家族会議が開かれました
食べ物の美味しさもさることながら、
長崎の魅力は、多くの半島と島々から成る
豊かな自然と美しい景観にあります。
その島の数は日本一を誇り、
五島列島、壱岐、対馬など594もの島があるそうです
長崎の島々は朝鮮半島や中国大陸に近く、
古代から日本と大陸を結ぶ中継地として繁栄し、
遣隋使や遣唐使は、壱岐や対馬、五島を経由し中国に渡り、
様々な文化や先進技術を学び取り入れていきました。
そしてその中の一つが私たちの携わる漢方薬
俄然長崎に親近感を感じるのはそのためかもしれません
そんな海外との交流が盛んだった長崎ですが、
第二次世界大戦の末期である1945年8月9日に
原子爆弾が投下され、広島市に次いで原爆被災地となりました。
原爆投下により焼け野原となった長崎は、
この先70年草木は生えないだろうといわれていましたが、
約1ヶ月後には草木が芽吹き、虫たちが姿を現し、
長崎の街は徐々に活気を取り戻したそうです。
70年生物が住むことが出来ないと推測された地に、
また生命が宿る
本当に自然の力は偉大だと感じさせられますね
戦争を二度と繰り返さないという誓いと
世界平和への願いを込めてつくられた「平和公園」で
記念撮影をしてお送りします」
今回もKEN先生らしい為になる情報が詰まった
コメントであった
KEN先生が言っているように、
本当に自然の力・生きる力はすごいと思います。
長崎県の浦上第一病院は、原爆の爆心地からたった1.4kmのところにあったにもかかわらず、
秋月辰一郎医師の判断で、被爆直後 梅干し入りのおにぎりと、味噌汁で乗り切り、
その後何年もその時浦上第一病院にいた職員に原爆症を発症したものはおらず、癌で亡くなった方もおられなかったそうです。
梅干しと味噌といえば、日本を代表する発酵食品ですが、
その発酵を進めてくれているのは様々な菌たちです🦠
わたしたちの細胞は37兆個と言われているのに対し、
身体(腸)の中には100兆とも1000兆ともいわれる
腸内細菌が住んでいる。
身体の内側の細菌以外にも体表の皮膚にも
沢山の菌が共存してわたしたちの身体を守ってくれています
もしかすると被爆した身体を、梅干しや味噌の菌と、
身体の菌が力を合わせて助けてくれたのかもしれませんね
目に見えない自然の力を感じます
今回の手紙を読んで、
改めて味噌汁・梅干し・漬物・納豆などの発酵食品を
いただこうと思いました。