Un'orbita stellare

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建築と道を愛する学生です。もっと自由に生きたいですね。

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定期的にと言っておきながら、久々にの更新となってしまいました。

さて今日は「壁と穴」について、現在研究室で行なっている「9×9×9」というスタジオ課題に即して、課題内容も紹介しながら自分の思考を整理するべく書かせてもらいます。

まず、スタジオ課題「9×9×9」とは。
これは俗称みたいなもので僕たちは「9かけ9」とかって呼んでいますが、「9mの立方体の中に美しい空間を作りなさい。」という課題です。空間構築能力を高めることを主たる目的として、過去の建築作品などを各自研究しながら自分なりに作っていく。というものです。

「Form follows function.(形態は機能に従う。)」

アメリカの建築家であるルイス・サリヴァンの残した「形態は機能に従う」という言葉があります。
この言葉というのは建築の分野だけでなく、後の芸術やデザインの分野にも大きな影響を与えたそうです。

機能を第一に優先して重視することによって、そのものの姿や形が決まるということなのでしょう。
機能美といわれているものですかね。
デザインが良くて機能も良いというのが何よりですが、機能性ばかりにこだわっていて、デザインが今一歩というものも中にはありますが。

ただ、建築に関しては機能性が良いとか、使い勝手が良いというのはかなり重要なポイントです。
いくら見た目がおしゃれな建物であっても、使い勝手が悪くて不便では意味がありませんからね。

こんな言葉もありますが、この課題の場合はFormにひたすら特化しているという感じでしょうか。といってもForm=外形と捉えてしまわないでください。「9×9×9」はあくまで空間の構成作法を学ぶ課題ですので、どちらかというと「内形」にあたります。

僕は別にこの世の全ての建築が十分な「機能」を満たしていなければ....などとは思いません。皆さんはどうでしょうか。まぁどこまでが建築で、どこからがオブジェで、どこまで...っていう疑問ははっきり言って謎です。
そういう論文あったら教えて下さい。

とまぁ脱線してしまいましたが、この「内形」に求められるのは「美しいか否か」のみ。たとえどんなに便利そうな、いわゆる「機能」を満たした箱が出来上がっても、それが美しくなければ何の意味もないわけです。なんとも偏ってますね。面白い。

しかしこの課題、もう一つ大きな原則があります。
「最小限の操作で最大限の効果を」
例えるなら「ハードパンチャー相手に防戦一方の中、カウンターの右ストレート一発で仕留めなさい」といった感じでしょうか。なんとも窮地ですね。恐ろしい。

ところでなぜ、このような縛りが空間を美しく、時には面白くするのか。
そもそもこの「縛り」に対してなんか腑に落ちないものがあったので考えてみました。

冒頭で「9×
9」を設計するにおいて各自研究をしながら、ということを言いました。何を研究するかというと世界中で活躍している、もしくは活躍していた建築家の作品です。感覚に思い切り訴えてくる美しい作品はどうやって作られたのか。作品に思いを馳せ、読み解く。簡単に言っていますが、非常に難しいです。
「格好良いのはわかるんやけどな~」って感じで、何も得られない感甚だしくて。このままでは
「評価されている建築家のいいとこ寄せ集めで9×9×9の立方体を埋め尽くしました!どや!」なんてことになりそうで怖くて、その真理というか本質的なものに先に触れなければ...って焦ってる時に見つけたのが「建築手法:安藤忠雄」という本でした。真面目な建築学生ならとっくに読んでいるかもしれません。名著ですね。なぜ読んだかというと「日本人で世界から評価されている」という点それだけです。愚直なまでに安易ですね~。しかし、そこで思いもよらず、なるほど。と思わされてしまいました。

西洋では伝統的に石を積んで建築を作ります。当然、柱梁で作ったりもするので一概には言えませんが。概ね組積・壁式が在来工法ですね。その場合建築はそれはそれは膨大な量の石の山になるのでどこかに穴を開けようものならバラバラバラーっと崩れるわけです。そのため壁に穴を開ける際にたくさんの工夫があった。アーチにしてみたり。でも極力穴を開けたくなかったんです。穴を穿つことに慎重だったんですね。
カリオストロの城とか思い出してみて下さい。
逆に日本の建築にとって、穴というのは多くの場合自由でした。木造が在来工法ですから柱と梁を組み、その間に壁をはめ込んで外界と内界を遮ります。耐力壁とか非耐力壁とかありますが概ね「穴を開けるのが自由」だったんですね。逆にこの様な作り方の「穴に対する配慮」は格子窓であったり、簾であったり、障子や襖なんかもですね。

この歴史の差が「壁に穴を穿つ」ことに対する哲学の違いに結びついていて、結果としてそれを理解できた人が世界で評価されている。安藤忠雄氏に関してはそれを感覚でわかってらしたのでしょうか。さすがです。

とまぁ、僕の抱いた違和感というのは「自分の持つ感覚」と「壁と穴に対する哲学」の不一致でした。「西洋の建築格好良い!」なんてミーハーに思う反面、今までの設計課題で特に配慮もなく壁に穴を穿ってきたことが原因でしょう。



僕の中ではなんとなく腑に落ちたので終わります。

なぜ美しいのか。それは言葉で伝えられないものですが、美しいものが生まれた際には必ず作者の中には言葉があったと思うので、僕もその言葉を手に入れられたらと思います。