学校の先生は緘黙を治したいとは思っていない。

なかには緘黙の子を助けたいと思っている学校の先生もいるでしょう。
学校の先生が治したいと思う気持ちは善意であって
治らないと自分が困るという当事者や親の治したいとは根本的に違うんじゃないかなって思います。