chirauraのブログ

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当然抗議したいが自分にはできない、でもその時は怒り心頭だったので身振り手振りで勝手におかれたこと、机を下げて自分にやらせるようにした状況を伝え、その日のあとはどうしたかあまり覚えていない。

抗議したいができず、だまっているなんてしょっちゅうで悔しいけど慣れていたが今回自分の状況ではできなかったが、それ以降勝手に食器を置かれることもなくなり、どちらかというとプラスに働いたかもしれない。

しかし先生にとってこんな迷惑なことはない。給食の時散らかして大騒ぎし、金属製の食器などで隣のクラスにも聞こえるほどであったと思う。それだけではなく、卒業まで進路はどうするか、緘黙は直せるか、特にまじめで優しい先生には相当重荷であったし責任感も感じさせてしまったと思う。

S先生は体育が得意な先生でドッジボールなど大人がやったら体力をすぐ消耗しそうな競技にも生徒と混ざってみんなで楽しんでいた。小中高大と卒業した今では30分以上もドッジボールなんてしたくないですね。
ともあれ本当に元気いっぱいの先生でもあり、遠足で山に行った時もみんなを励ましてリードしてくれたり、体育や運動での元気な姿が印象的でした。

さて、本格的な冬になり、自分は遅く寝て遅く起きる不健康な生活だったので例年どおり風邪気味になり、休んだこともあったかもしれません。それと同じころS先生も体調が悪い時が続きました。
なんか体調が悪いし顔色もちょっと悪い、小学生でもパッと見てわかるほどで時折生徒の心配を和らげるため、ちょっと風邪かなと言っていました。
ある日、6年生の担任の先生が近くの公立中学校を回り、今年の生徒はどうですか、など意見交換するとS先生は言いました。自分は俺の事の言ってくれてるかなぐらいにしか思っていなかったのですが、S先生は体調悪そうだけど大丈夫かなと少し心配してました。

その意見交換の日から数日経ったある日から、S先生は教壇に立たず、副担任が代わりに教壇に立ちました。
そして一言、「肝臓に水がたまる病気にかかって入院しています。いつ復帰できるかはわからないのでしばらくの間副担任が授業を受け持ちます」と。
緘黙の自分と緘黙の自分に対する周囲のフォローが当然とか普通と自分とおそらくクラスメイトでも一部は思っていた。
夏休みを過ぎてからだんだんとそんな甘えた自分に喋らせようとするためのS先生からプレッシャーをかけられる。例えば日直の時、自分はいつも飛ばされるか代わりにもう一人が言ってもらうなどしていたが、このころからS先生は今日はチャレンジしないの?と少し厳しい目で見てくるようになり、二回目以降になるともっと頑張ろうよ、そのうち喋れるようになるよね、と言われるようになった。
何も答えられず、また自己紹介の時の目で見つめ返すと、もう座りなさいと厳しくも優しく言われる。

寒くなる季節になると中学進学とこれからの不安でいっぱいになったが、自分と同じくらい、いや、忘れようと家ではスーパーファミコンばかり遊んでいた自分なんかよりもS先生は心配してくれていたと思う。
卒業文集の準備、卒業アルバムの写真撮影、進路希望のプリントをもらうなど月日は流れていき、自分はもうどうとでもなれと考えるようになった。中学に入ってもしいじめられたり、耐えきれなくなったら転校してまったく新しい環境に行こう、誰も知らない人なら自分は話せると考えていた。

先生の厳しい態度も、被害妄想かもしれないがそれを感じているクラスメイトの雰囲気も好きではなかったし、給食の時机を勝手にずらされ、離れた場所に置かれたり、鉛筆等を遠くへ投げられたりと軽い嫌がらせもうけていたので、イライラもたまっていた。
給食の終わりの昼休みの時はトランプをしたり、将棋で遊んだりできるので仲の良い友達とそれらでよく遊んでいたが、ある日、給食を早めに食べ終わり早速友達と遊んでそろそろ自分の席に戻ろうとしたところ、給食の班員の食器がすべて自分の机の上に置いてあった。しかも他の班員は机を後方へ下げて掃除の準備をし、勝手に食器を置いて、じゃんけん等せず、置かれたことに普段から嫌がらせを受けてストレスがたまっていたせいもあり、小学生ながらキレてしまった。

そのまま手で残しのスープが残っているのにもかかわらず食器を払い、金属製の食器をぶちまけ、大騒ぎとなった。
机にスープが付き、それも手で払いまき散らし、そして廊下へ手を洗いに行った。
先生が呆気にとられているのにも気づいていたが、構わず手を洗いに行ったがそこでS先生に止められ、怒られた。
手を洗う場合じゃないでしょ、ここを拭いて片付けなさいと。
始業式の後、新しいクラスへ行く間もずっとびくびくしていた「新しい先生だ、自己紹介、国語の時間は嫌だなぁ、わかってくれるかなぁ」と考えていた。

結局一日目は先生の自己紹介といろいろなプリントや時間割等の確認だけで、生徒の自己紹介はなくホッとしたが家に帰ってからずっと憂鬱になる。
明日から新しい先生のもと遅かれ早かれ自己紹介、一年後には中学、どうしよう、学校行きたくない、いっそ自己紹介の日には仮病を使って休もうかとそんな風に考えていた。
これも緘黙児の特徴かもしれないが、親のプレッシャーか休んだことでクラス内で噂されるのが嫌か自分でもあまりわからないが学校にはあまり休まずに行く。

そして二日目、自己紹介が始まり名前順で名前、好きなこと等を一言ずつ述べ、その間心臓はバクバクであった、学校が崩れてそれどころではないような場面になることを願うほど逃げ出したかったが、当然平和に自分の番になりいつものごとくただ突っ立って先生を見つめ、助けを求めるわけでも、何かメッセージを送るようでもどちらも判断がつかない目で先生を見つめた。
するとS先生は優しく「まだできないか、頑張ろうね」とか言ってくれた。その瞬間、自分は救われたとか、良かったとかわかってくれたとかいろいろな思いを頭の中で駆け廻らせながら、軽くうなずきそのまま黙って座った。

実際先生は優しく、例えば修学旅行や遠足のときに一緒にいてくれて、よくそばにいてくれ、時にはYES,NOで答えられるような雑談もしてくれた。
そうなると甘えてしまうのが自分である。たまに中学へ進学する不安もあるが当面、一年間は大丈夫だと国語のときも飛ばしてくれて、レクレーションでも話さなくてもいい遊びをし、何かの発表では他の人に読んでもらっていて二年生の時の記事でも書いたがそれが普通となっていた。

何かあってもフォローしてくれる、なんとかしてくれるそんなひねくれた考えもあるが純粋に自分は厳しくも優しいS先生が好きであった。

そして夏休み、お爺さんの家に行き、親戚やおじいさんと楽しく遊び話し、とても楽しかった。もう自殺するなら夏休みは最後か、もう中学に進学まで一年もないのであればずっと夏休みでいたいと思っていた。
そんな夏休みが終わり、まわりでは中学受験をする人の雰囲気がなんとなく伝わり、どこの中学に行くか少し先の将来のことを考える時期になった。

そのころから甘えていた自分に対しS先生は厳しくなっていった。