表現の自由は誰のため?(その1)「排外デモ批判」は許されないのか? | かんみろぐ

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「排外デモ批判の記者を脅迫容疑=会社員男を書類送検―大阪府警」
ガジェット通信
http://getnews.jp/archives/373286

 送検容疑は、2月11日、女性が開設したインターネット掲示板に「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も追い出そう。女性は殺そう」などと書き込み、脅した疑い。


上記記事によると、自分が見て腹が立つ記事を書いてるから、脅迫するというのはまさしく相手側の「表現の自由」を侵害をしていると言えなくないだろうか?

「表現の自由」には対として「(不愉快な表現)を見ない権利」があると筆者である私は思っている。

しかしながら、身勝手極まりない理由で「表現の自由」と「言論の自由」を脅かし、脅迫を行うのは卑劣であると私は宣言致します。

私も、ツイッターという場で「表現の自由」と「言論の自由」を脅かされている立場で他ならないからです。

元々「言論の自由」や「表現の自由」は己の表現や言論に責任を持ち、他者の「言論の自由」や「表現の自由」を侵してはならないものであったと私は感じております。

この「(不愉快な表現)を見ない権利」「表現されない権利」については次回の記事のネタなのでおいておきます。

何故「(不愉快な表現)を見ない権利」もあっていいとの根拠と理由の説明や背景はこの記事から外れるからです。

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