語り部といふものありけり。 | かんみろぐ

かんみろぐ

ファミコン世代の現役高校生という謎の属性を持つちょっぴりヲタクな
UMA甘味堂という人物のどたばた日常記録という名前の日記。
+ポタリング記録とさいたま市某区の空記録がメイン?

暇も無い・体力も無い
http://ameblo.jp/kanmidou/entry-11385734125.html#main 
の理由は今回明かせませんが、語り部としてのでかい仕事。
語り部としての初仕事があまりにアカデミックな場所で驚いています。

今まではTwitter(前はブログ)のみで語り部をやってた私ですが。

これも縁があってのこと。
1つ1つ縁を重ねて行こう。

あと保育業界のブラック化を今回関連の資料POSSEVol.16号で初めて知った。
介護・保育と言うのは必要なインフラなのにあまりに酷過ぎると…。
今回の語り部として引用(事例)の為に購入した本にただただ驚かされた。


家出少年少女=不良なんかじゃない。
おかしな家・おかしな地域からの脱走者なのではなかろうか?
故人・飯島愛も「おかしな家からの脱走者」だった。
祖母と言う名の日だまりを失って、脱走するしかなかった。

飯島愛も孤独の人だったのだ。

だから自分は時折彼女と重ね合わせる。


自分は何重の貧困を背負ってるのも事実。
良く踏ん張ってるし、這い上がったと我ながらに思う。
路上を生活の場、寝床にしなければいけない時代もあった。 
其処から出て安堵が約束されたように見えても。

それでも傷は深い。
決して浅くは無い。

一生心の傷は続いてゆく。

小さな小さな時の記憶から、8歳の事件で明らかにバラバラになった私。

解離性障害の中でもとてもとても重い
DID 解離性同一性障害 (Dissociative Identity Disorder) と言う物を背負いながら。

ある人間に「共同親権を訴える人形にする為」なのか?
ただのメサイヤコンプレックス故なのか?
もうかの人達の心情など判らない・否、判りたくも無いが

ただただ、過去の記憶や人格を無理やり引っ張りだされ、バランスをぶち壊され
その後遺症…。
益々、人間不信になり、人格交代が酷くなり、破滅的人格が出てきたり

昨日も「死のうず」と線路に幾度も飛び込みたい気持ちも持ちながら

踏みとどまって今日も生きている。

それでも生きている。

だから「大人の共同親権を訴える当事者」の様に
時には恋愛で「あっぱらぱー」で私は居られないのだ。

恋愛・結婚は私の様に孤独な人間にとっては「支え・家族」を得る手段であり、決してあっぱらぱーではいられないのだ。
語り部と言うのは元来一人でやり続けれない。
孤独な時支えてくれる人々だけでなくパートナーがいなければ続けられない。
それは『光母子殺人事件遺族の彼』の様に闘い続けるには戦う時の支えが必要なのだ。

独り『語り部故に落ちる闇』と言うのが存在する。

その闇から引っ張り出す「家族・パートナー・同士」と言うものが必要なのである。
今回この大きな大きな一歩となる語り部としての仕事をしていてものすごく痛感した。

語り部と言うのは自らの傷を語る、次の自分を出さないためにも。

広島・長崎の原爆被害者達の語り部もそう。
薬害エイズの語り部たちもそう。
福島東京電力原発群の被害者達も語り部となってゆくだろう。傷が癒えた頃に。
ネット上で色々と語るきょうだい児の語り部たちも。

みんな『自分のような苦労を後世にさせたくない』想いで語るのだ。

こんな悲しい事が豊かな国と言われた日本にもあると。

心の貧困が日本にある事を。

見過ぎされている子どもの貧困があることを。