中国から完全撤退をすると連絡したら、速攻で会いに来てくれた。中国山東省潍坊にいる元日本に留学していた一家。

毎回奥様が一緒で、気の利いたプレゼントはすべて奥様の選んでくださったもの。

今回も素敵なスカーフをいただいた。

中国に来た時は生活に必要な電気毛布だったり、体に良いお茶だったりと嬉しい気配りをしてくださる。日本では二度ほど、一緒に食事をして、日本語も少し話される。

お金持ちのおぼちゃまだから、日本に留学中と言うか、留学の条件に結婚があったらしく、すでに奥様持ちだった。誰も当時は知らなかったらしい。奥様に会わせていただいたのはごく少しの人だったらしい。彼についてはすでに↓のブログに書いたので、今回は今日の事だけを。

 

 

 

彼も久しぶりの旅行なので、奥様とお嬢さんを連れて家族旅行を楽しみたかったようで、寧波の観光地に行きやすい寧波中心街にホテルを取ったようだったので、寧波中心街で会うことにした。地下鉄駅がわかりやすいと、地下鉄駅を指定したが、お金持ちの彼のこと、タクシーで移動なので、時間つぶしもできる天一広場の一角に接している「熊沢書店」で待ち合わせをすることになった。この「熊沢書店」読み方も「KUMAZAWA」と表記されており、日本の熊沢書店寧波支店なのかと思って、前回調べたところ、一切、関わりはない。とHPに表記されていたが、今日見たところ、2023年4月28日付で

 

 という表記があった。

 

なんだか、中国が本家だったような書き方だなぁ。なんて思いながら、先に届け出をしたもの勝ちなのか。お金をたくさんもらったのか。でも、この書き方なら日本側がお金を出さなくちゃならない感じですけどね。わからない。けど、メモっておこう。

 

とにかく、ここで、待ち合わせをすることになった。

と、言うことは、食事もここでした方がいいかな?

寧波料理といっても、寧波のはずれの港「石浦」の海鮮料理を利用しようと思ったのだが、彼は魚が意外と苦手なのだ。山東省潍坊は青岛が近いので、海鮮も豊富なところ。一度ごちそうになったとき、新鮮で豪華な魚料理がたくさん並んだのだが、彼はほとんど食べていなかった。それで、いっそ「熊沢書店」の中にある洋風料理と書いてあるところにしようかと聞いたところ、嫁と娘は中国料理よりおしゃれなところを喜ぶということだったので、洋風料理小小葵にした。今、画像を張り付けて驚き!!チビわさびと読めるではないか!!

これで謎が解けた。それはもう少し後で。

ところが、ここでまた問題発生。今日は5月20日で予約ができないという。どういう意味だろう。すでに予約で埋まっている。と言うことらしいが、ここは彼に聞いてみた。

5月20日は520という数字の音が「我爱你(I love you)」で恋人デー(バレンタインデー)のような日なので、こじゃれたお店は予約が殺到しているようだった。彼らも朝食をホテルでたっぷり食べていたので、寧波人の様に午前11時に食べるのは早すぎるということで、スタバでおしゃべりをして、12時ごろに行くと随分と人は少なくなっていたが、席は屋外でもいいかと言うことになった。屋外の方が何かと都合がよかったので、無事席を確保。

 

 

このデッキの奥に屋外の席がある。サービスは悪くない。

 

 西洋風のメニューだと思っていたが、

 

日本なら、和洋折衷という創作料理店だったのだな。

 

 

いきなり、カリフォルニアロール的なものとサーモンのお刺身が出たので、驚いたが、納得である。「ちびわさび」と読める表記も納得だ。山東省の背の高いご家族なので、足りないかと思ったが、意外と満足していただけた様子。温玉の乗ったピザとチーズたっぷりのグラタンが満腹感を引き寄せた感じ。

ピザは温玉なしのチリソースが添えてあると美味しいという感じのお味。丁度鶏肉のカリカリあげにチリソースがかかっていたので、そのチリソースをつけると美味しかった。でも、この食べ方はカンコロだけのようで、どなたも真似しなかったな。

 

 

でも、お嬢様、サーモンの刺身が好きと言うことだったので、良かったかも。カンコロに取り分けてくれました。よくできたお嬢様だ。生ものだったから食べないつもりだったけど、美味しかった(笑)

 

 途中で出たお菓子っぽいこれは何?しょっぱかった。

 

 牛タンのワサビ添え

 

こんな立派な牛タン初めて食べました。柔らかいのも驚いた。

中国は創作料理が美味しいのだなぁとつくづく感じた。これからもっともっと美味しいものが増えていくだろうな。今回の中国では牛肉が柔らかくて、美味しくなっていた。前回は牛肉は堅いし、少し臭みがあったのに、今回は柔らかくて美味しい!!スーパーで売っているものまで美味しくなっていて驚きだ。

食べ物の事しか書いてないが、仕事柄、海外に出るには、いろいろ会議にかけられて、手間が多く難しいという。日本へも行きたいし、意外にも博士に進学したいと言っていた。

修士卒で帰国してしまった彼だったが、中国で西洋医学の医師だった父が博士を取るべきだという話があったという。それなら、是非是非に。なのだが。。。。実績として、有名な学会発表一回、有名な学術雑誌に論文2本掲載されなければ今の国公立の大学院博士に進学できないことを伝えると、がっくりしていた。多くの留学生が挑戦するが、なかなか国公立の博士は合格しない。日本人よりは留学生の方が広き門らしいが、それでも、知り合いの留学生に博士までいった留学生はいない。なので、お金に余裕がある彼なので、私立を提案しておいた。ピンキリだが、国公立よりは広き門だと思う。一年間博士の研究生になり、その間に条件を満たせるのなら、それもいい。が、それで博士になった留学生はいまだいない。研究生の引き受け手の先生がまずいないのだ。頑張れ!!留学生。東京にいる、この学院の卒業生も今博士を狙って頑張っているらしい。高学歴志向はどこまで続くのだろう。

こんな話をして、あっという間に2時になる。彼らたちはまだこれから、アウトレットに行くつもりだという。カンコロが一緒だと、ついこういうおしゃべりになってしまって、お嬢様が退屈する。ので、カンコロは帰ることにした。挨拶をしたら、案の定彼は泣きそうな顔になった。毎回別れる時は泣きそうな顔になる。

それで、さっさとカンコロはその場を立ち去ることにした。日本での最初のお別れの時、彼は本当に泣いたので、以後気をつけるようにしているのだ。カンコロが見えなくなるまで見送ってくれたご一家。後でメッセージが届いたのを見たら、「カンコロさんの後姿が見えなくなった時嫁は泣いていました」と言うではないか。日本で泣いた彼を笑っていた彼女が?嘘でも本当でもどちらでもいい。嬉しい。カンコロは日本製のお菓子をひと箱持って行ったが、奥様はきれいなシルクのスカーフをプレゼントしてくれた。へたくそな中国語にも付き合ってくれた。今では、彼より親しみを感じる。

そうでした。お嬢様を置いて、二人でトイレに行ったとき、お嬢様に中国語のレッスンをしてもらった。通じないし、彼女の中国語がわからない。と言うか、声が小さすぎて聞こえない。恥ずかしかったのだろうな。はじめてとおなじくらい久しぶりの日本人阿姨相手に何を話していいかわからないよね。それでも、金曜の夜に家から、青島に移動して、飛行機は青島から乗ってきたこと、弟は4歳だということ、2019年生まれだ。と言うこと。彼女は2012年生まれで11歳だということ。日本にはお母さんのおなかの中にいた時に行ったことを話してくれた。弟にはあったことがないでしょう。と言うので、あるよと言うと、うそだ~って。パパが帰って来たので、確認したら、やっぱり2021年に潍坊に行ったとき、すでに坊ちゃんは生まれていた。お嬢様はすっかり忘れてしまっていた様子。

お嬢様11歳だけど、身長は160cmを超えている。父は180cm以上、母は170cmあるから、わかる気がする。長身一家だ。

お嬢様もできれば、日本に留学させたいという。彼の後輩で今、高校生を日本に留学させる仕事をしている人がいるというと、興味ありありだった。長春にいるその卒業生も博士を目指したが、願い叶わず、今は高校の教師をしながら、その高校の学生を日本に留学させるための仕事をしている。彼もまた、高校から日本に留学した人だったのだ。

何だか、取り留めなく今日あったことを書いているので長くなってしまった。でも、そのくらい今日の事をメモしておきたい。忘れたくない。と思う。