全日本いなり寿司協会が、初午となる日に近い祝日、建国記念の日を「初午いなりの日」と定めています。
全国各地のいなり寿司の中でも、熊谷市妻沼のいなり寿司は郷土自慢。
では、そのルーツは?
いなり寿司のルーツは、専門家の中でも、諸説がありますが、私は江戸時代に書かれた守貞謾稿(もりさだまんこう)に記述にがあり、近世商売尽狂歌合(きんせいしょうばいづくしきょうかあわせ)に屋台で売る商人の姿が描かれています。
守貞謾稿(もりさだまんこう)は、近世風俗史の基本文献、江戸時代の風俗、事物を1600点にも及ぶ付図と詳細な解説。著者は喜田川守貞。起稿は1837年(天保8年)で、約30年間書き続けて全35巻(「前集」30巻、「後集」5巻)。
熊谷市妻沼の聖天さまは、関東の三大聖天(妻沼聖天、待乳山聖天、平井聖天)の一つとして多くの参拝者がありますが、江戸時代は現在以上に江戸との往来があったのではないでしょうか。
江戸のまちで売り出されたいなり寿司が、妻沼地域に持ち込まれたのではないかと想像します。
現在の妻沼の細長い寿司と同じような形の寿司が、屋台で売られている風景が「近世商売尽狂歌合の絵」に描かれています。
そして、切り売りもしている様子です。
棒状のいなり寿司が原型で、それが小さくなり米俵型に変化したのでしょう。
妻沼のいなり寿司は原型を留めているのでは。
