雲をつかんだ日
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2024年10月31日~11月2日『羽田空港~栃木~福島~東京~千葉』10月31日

11月1日~10日まで仕事を休ませていただき、まずは国内で楽しませていただきました。
10月31日の仕事を終えてから、新千歳空港近くのICパーキングさんに向かい、11時半頃に到着しました。
その後、新千歳空港空港の出発ロビーにて、ドジャースの優勝を見届けました。
そして、13時半に新千歳空港を出発し、15時に羽田空港に到着しました。

飛行中、窓の外を食い入るように眺めるおじさんがいて、昔なら「変なおじさんがいる」と思ったかと思いますが、今は一目もはばからずに何かに熱中している人を見ると、「カッコいい」と思います。









そこからは、ヤンマに迎えに来てもらい、栃木県佐野市出流町にある『ロッキーの出流美術館』を目指し、17時50分に到着。
美術館を見学させてもらったのち、ロッキーさん特製のカレーをご馳走になり、22時過ぎまで談笑。

22時過ぎに離れに案内してもらい、就寝しました。

















9:00 富良野発 ー 11:00 セイコーマート(482円) ー 11:30 ICパーキング(5000円) ー 11:50 新千歳空港着 ー ドジャース優勝 ー13:30ー 新千歳空港着発(11850円) ー 15-00 羽田空港着 ー 15-30 羽田空港発 ー 17-50 ロッキー美術館(3000円) ー 22-20 別荘

小計 20332円


映画『そして、バトンは渡された』




監督:前田哲
脚本:橋本裕志
原作:瀬尾まいこ


第16回本屋大賞を受賞した瀬尾まいこの同名ベストセラー小説を、永野芽郁、田中圭、石原さとみの共演で映画化。

血のつながらない親の間をリレーされ、これまで4回も名字が変わった優子。
現在は料理上手な義理の父・森宮さんと2人で暮らす彼女は、将来のことや友だちのことなど様々な悩みを抱えながら、卒業式にピアノで演奏する「旅立ちの日に」を猛特訓する日々を送っていた。
一方、夫を何度も変えながら自由奔放に生きる梨花は、泣き虫な娘みぃたんに精いっぱいの愛情を注いでいたが、ある日突然、娘を残して姿を消してしまう。

主人公・優子を永野、血のつながらない父・森宮さんを田中、魔性の女・梨花を石原がそれぞれ演じる。
監督は「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」の前田哲。

(『映画.com』より)



いいです。
優子は二人の母と死に別れ、二人の父と生き別れ、「とっても可哀想な人」としての人生を歩むことも可能だったわけですが、そんな境遇を呪うことなく、今を精一杯生きました。
もちろん、片親であるがゆえの、継子である寂しさや、悲しさや、苦しみは絶対にあったはずです。
しかし、大切なのは、どちらにクローズアップするかです。
幸せの定義なんてなく、幸せを感じることのできる人の人生が、幸せなのです。
いつも、あっけらかんと、明るく元気な母親でありたかった梨花の気持ちも分かるし、それを伝えるだけの愛情を注いだからこそ、優子もそれを理解して生きていけたのでしょう。
そんな素敵な親子を救った泉ヶ原さん(市村正規)、かっこいい。
そして、森宮さん。
結婚相手が連れ子を置いて失踪したら、その継子に辛く当たるのは、ある意味「当然」という意見が占めるであろう世の中ですが、本当は森宮さんみたいな人が正常なんですよ。
そう素直に思えたのは、田中圭さんの好演あってのことでしょう。
市村正規さんをはじめ、石原さとみさん、永野芽郁さんらも素晴らしかったです。
とっても清々しい気持ちになれる、いい映画でした。
ただ、規定時間を16分超えてしまったので、ちょびっと減点です。



【★★★★☆】

第四章 最期の旅~商業都市ヴェーサーリーにて~

ナーディカ村に心ゆくまでとどまった一行は、商業都市ヴェーサーリーへと赴きました。
ヴェーサーリーに着くと、一行はアンバパーリーという遊女が所有するマンゴー林に腰を据えました。
そこで、お釈迦様は弟子たちに、「出て行くときも戻るときも、前を見るときも後ろを見るときも、飲んで、食べて、噛んで、味わい、飲み込むときも、大小便をするときにも、眠り、目覚め、語り、沈黙しているときにも、いついかなるときにも、身体について、感受について、心について熱心によく観察し、この世における貪欲や憂いを除去していなさい。」という教えを説かれました。

自分のマンゴー林にお釈迦様たちがいらしていることを知ったアンバパーリーは、そこへ赴き、お釈迦様に丁重にご挨拶すると、「明日わたくしの家で、修行僧らとともに、お食事をなさって下さい。」と申し出ました。
アンバパーリーは遊女と言っても、ヴェーサーリーの経済を支えるほどの人気があり、日本の花魁(おいらん)と同じく高い教養を身に付けていたようです。
とはいえ、当時のインドでは、遊女というのはこの上なく厭らしい職業でした。
しかし、もちろんお釈迦様はそんなことで分け隔てする方ではありませんので、この申し出を快諾しました。

これを聞きつけたリッチャヴィ族の者たちは、アンバパーリーのところへ行き、「やあ、アンバパーリーよ。十万金あげるから、尊師たちへの食事のおもてなしを我々にさせてくれ。」と頼みました。
これに対しアンバパーリーは、「例えあなた方が、ヴェーサーリー市とその領土を下さっても、このような素晴らしい機会をお譲りするわけにはまいりません。」と答えました。
そう言われたリッチャヴィ族の者たちは、「ちぇっ。我々は女ごときに負けてしまった。たぶらかされてしまった。」と捨てゼリフを吐き、その場を去り、お釈迦様に直談判に行きます。
「尊い方よ。明日わたくしどもの家で修行僧がたとともに、お食事なさるのをご了承下さい」。
これに対してお釈迦様は、「リッチャヴィ族の皆さま方、お誘いは嬉しいのですが、わたくしはすでに、明日は遊女アンバパーリーからのお誘いを受けることを承諾しました。」と、事もなげに断りました。

階級制度が絶対だった当時のインドでのこのやりとりと言うのは、「旭日大綬章の受章が決まりましたので、来月の6日午前9時までに皇居にお越し下さい」と言われたのに対し、「来月の6日ですかぁ…。あぁ…ごめんなさい。あいにく、その日は孫の運動会があるので、わたくしは欠席ということで…ひとつ…。」と答えるのと同じようなものです。

そんなことになれば、大臣連中は激怒するでしょう。
マスメディアは視聴者の顔色を窺いながら、その人は礼儀知らずだと世論をコントロールし、SNSは大盛り上がりで、"殺害予告"なんてのも出てきたりして、そりゃもう大騒ぎ。
リッチャヴィ族の人たちも、そんな気分だったと思います。
しかし、お釈迦様に当たるわけにはいけないので、アンバパーリーに悪態をついたのですね。

ただ、そのような返答に対しても、平成天皇ならきっと、「大切なお孫さんの運動会では仕方ありませんね。ご活躍をお祈り申し上げております。」なんて、お答えになるでしょう。
ご自分がお亡くなりになった後のことを案じ、生前退位をお望みになった陛下と、入滅後の仏教界を案じる本経典におけるお釈迦様が少しかぶります…。



(合掌)



ご参照までに…。


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