当時の図書寮は、皇室・宮内省関係の公文書の編纂と保存をする公文書課、皇室の古文書の保存と編修を担当する編修課、そして、その他一切を担当する庶務課とがあり、森永氏は日給63銭を支給される庶務課の給仕を命ぜられたそうです。

 給仕の仕事はいわゆる雑用で、役人のいる部屋の掃除、硯用の水入れ、お茶くみ、

昼食の注文取りなど、文字どおり雑多の用事を担っていたのです。

部屋の掃除等は4人の給仕にそれぞれ割り当てられており、寮頭さんの部屋(上局と呼んでいた)は先輩給仕が担当することになっていましたが、担当の先輩給仕が夜学校に通学していて、

試験等で続けて休む場合、新米給仕である森永氏が代わって上局の掃除をしたとのこと。

その都度、青い羅紗の張ってある机の上にはドイツ語の書籍や医学書がうず高く積まれているのに驚き、また、

その傍らには一時とは離したことのない葉巻の灰が小山のようになっていて、吸い殻が横たわっていたといいますから、

鴎外の煙草好きは相当のものであったと思われます。

 

ただ、書庫に面した庭をしばしば散歩するときには、禁煙区域ということもあって、火の点いていない葉巻を持ったままで喫煙は控え、ぶらりぶらりついでに、時には広場で唱い語り合う女学生にしばし優しい眼差しを送っていたとのこと、鴎外の心優しさを垣間見ることができる感じです。

いずれにしても森永少年にとっては、見るもの全てが別世界のものであった、そんな思いで日々過ごしたに違いありません。

 

 ところで、当時の役人の昼食は、ほとんどが弁当持参(いわゆる腰弁)でしたが、なかにはパンを

注文するハイカラさんもいて、別棟へ定期的に来るパン屋から買い、各人の机に届けるのも給仕の大事な仕事であったようです。

 

鴎外の昼食もほとんどがパンで、ときには女中が重箱入りの弁当を届けたものを食したようです。

鴎外が食するパンは他の役人とは異なりクリーム入りのパンで、別棟では扱っていないため図書寮

から近い芝愛宕下通り(現在の桜田通り)にあった木村屋へ、森永少年は毎回50銭を受け取り自転車で買い出しに行ったようです。

 

そのパンはいつも焼きたての香ばしい匂いであったといい、食べ盛りの少年にとっては、空腹のお腹を相当刺激されたことと思います。

ところが、秋になって薩摩芋が出始める頃となると、なじみのクリームパンから一転大好きな焼き芋に代わったそうで、

それも、蒸し芋ではなく焼き芋でなければならなかったといいます。

続く・・・・・