年末年始を実家で過ごした際におせちのひと品として「煮豚」を作った。

バラを使った「角煮」のようにトロトロに仕上がるものではなく、モモを使った「赤身感」たっぷりのものだ。おせちの品には「縁起のよさ」が不可欠だが、「煮豚」にはそんなものはない。昨今の市販のおせち料理にはローストビーフがはいっていたりするから、許してほしい。

 

さて、作り方は簡単だ。材料は、豚のモモ肉ブロック、長ネギ、ニンニク、ショウガ、水、醤油、砂糖、日本酒、塩、めんつゆ、蜂蜜といったところだろうか。

手順としては、まず豚のモモ肉ブロックを調理用の糸で縛る。面倒くさい人向けにはネットでおおわれたものが売っていたりする。

適当な大きさの鍋に水を張り、肉を沈め、長ネギの青い部分、ニンニクのスライス、ショウガを潰したもの、醤油、砂糖、日本酒、塩、めんつゆを加えて火をつけて煮る。

 

途中で色味とか、臭いとか、煮汁の味とかをチェックし、美味しくなりそうだなと確認しながら、なんとなく肉全体に火が通ったろうなというところで、いったん火を止める。

 

煮物は煮汁が冷えたところで味がしみ込むという伝説を信じながら、気まぐれに火を入れ直したりする。

使い切った蜂蜜の瓶があったことを思い出して、瓶にお湯を入れ、蜂蜜液を作り、鍋に投入する。

 

1日半くらいをかけて、火を止めたり、つけたりして肉がそれらしい色つやになるところを確認する。

一方で、煮汁を小鍋に適量取り、煮詰めてタレを作成する。

 

肉をスライスし、煮詰めたタレをかければ、完成!

 

とっても美味しくできた。

材料費は、10人前で1,500円くらいで済んでいると思う。

ぜひ、お試しあれ!

 

ということだけど、たぶん、これを見ただけでは再現できないと思う。

なにしろ、本人が再現できない。

 

というのも、まずは材料の分量が書かれていないし、それぞれの下ごしらえの手順も省略が多いし、かける時間も明確ではない。

でも、たしかに美味しかったのだ。

なにか問題があるだろうか。

 

ない。

私が、趣味で家族を相手に年に一回の出来事として煮豚を作っている限りはなんの問題もない。

ただし、これでは客に安定した煮豚を提供するような仕事はできない。

 

そこで必要なのはレシピだ。

 

以前に、家庭で作るカレーが上手にできる人がカレー屋のシェフになれるわけではないと書いた。

その理由は、調理するカレーの量とか、タイミングが、家庭とカレー屋では大きく違うからだ。

もし、その陥穽をクリアするものがあるとしたら、それはレシピだろう。

 

サービス業の専門性を担保するものがあるとしたら、それはレシピの作成能力ではないだろうか。

私は、美味しい煮豚を作る自信は十分にある。しかしながら、そのレシピを作ることにはまったく自信がない。

 

レシピとは、それさえあれば、誰でも(もちろん基礎的な知識と能力を前提とするのだが)、再現をすることができる手順書とでも言えばいいだろうか。

 

上手に子どもと関われる人はたくさんいるだろう。手際よく介護し、高齢者との良好な関係を作り上げられる人もたくさんいるだろう。

だが、その方法や必要な物品を余すことなく書き留めることができる人はどれだけいるだろうか。しかも、ほかの誰でもが再現できるような書き方で!

 

指導案とか、教案とか、介護計画とかいわれるものは、いわゆるレシピとして捉えることはできないだろうか。そして、それを作成することこそ、単なる「技術的・知識的な優位」を乗り越えた専門性の確立といえるのではないだろうか。

 

論理展開がいささか乱暴なことは自覚しているので、このテーマについて、さらに考えたい。