愛着とは何か
子育ての始まりは愛着を形成することにあると思います。愛着とは生まれてきた人が「自分とは違う世界」と交わる際に必要な燃料みたいなものと私は考えています。赤ん坊の頃になったと想像してみてください。オムツが汚れてしまいました。でもこれが何なのか分かりません。ただ不快です。泣き声を出すと誰かがオムツを替えて清潔にしてくれました。この人は誰だか分からないけどずっと私の発信に気づいて、欲していることが満たされる。「泣き声があれば自分の欲していることが実現するのだ、私は有能なのだ。」。同時に「この人がいると安心だなぁ」と思えるでしょう。つまり、愛着があれば、心が安定した状態で行動でき、その結果をそのまま受け容れ、心や周りの変化に気づくことができると思うのです。愛着を形成するために、何でもかんでも子どもの言うことを、さらには先回りして環境を整えてあげる事をするということは、その目的とは違った結果になると思います。その目的とは子どもが心の中で安心できる存在や物を持ち得ることで、不快を快に変えることですから、そもそも不快であることを取り除いてしまう事自体が子どもの持ち得る力を使わせず、伸ばさない事になってしまうと思います。乳児期に形成された愛着というものは、年を重ねて大きくなるにつれ対象が代わっていくものですから、大人になっても大切な存在であると思います。家族や子ども、友人や恋人、大切な物、、人それぞれに心の拠り所があるはずです。心の基地を築き上げることが教育において一番最初に、一番大切になってくる事ではないかなと考えています。中学受験を例にみると、成績が下がってクラスが変わってしまったとします。心の拠り所がある人は、ない人に比べるとどれほど迷うことが無いと思いますか?私は心の拠り所があれば一緒に涙を流したり、励ましあったり、決意を固める事ができたり、その方が良いと思える方向に向かう事ができる力が大きくなると考えています。これらを自分一人で完結できることは本当に強い。社会人となっても同じでミスをした時、思うように結果が伴わなかった時、奮起できた心の中の奥底には愛着があるんじゃないかなと思っています。実際どのようにしたか、ですが私は帰ってきてから一緒にお風呂に入ったり添い寝したりした時、休みの日に一緒に遊んだ時に、ただただ心の奥底を観察していただけでした。たまには思い込みになってしまう時もありますが一緒にいる時間に比例して、何を考えてきるのかが分かってきます。考えている事が分かったら思考を巡らせることのできるような言葉がけをします。遊びの中で子どもは育つでしょう。遊びについてはまた次回以降に述べさせて頂けたらと思います。最後までお読み頂き有難うございます。