こんばんは。
こちら長津田では、すずむしの鳴き声が聞こえます。
こんな都会でもよく聞こえるんですね。
長野とは違って車の音は混じりますが、秋を感じられてよかったです。
さて、今日木曜日は教育原理の日。今日も先生とお話をしてきました。
今日は授業で1950年代から1990年代の学習指導要領を振り返りました。
簡単にまとめると、締め付けとゆとりを十年ごと振り子のように行ったり来たりしているのですが
締め付け=国主導の詰め込み型
ゆとり=学校の個性を生かす型
に分かれるそうです。
そして、締め付け型は系統型といって学年ごとに学ぶカリキュラムが体系化されていてそれを順々に黙々と進んでいく方式で面白味はないものの、確実に学べるという事です。
対して、ゆとりは体験重視でそこに体系はなく、バラバラしている科目から選んで繋げていく方式です。
個性を生かした教育が可能な一方、学校によって学んでいるものが違うため、学んでいないこと=穴となってしまう欠点があるということでした。
そして、穴を残したまま中学に進学した結果、おのずと成績不振→学力低下とみなされるとの事でした。
このことについて今日のテーマは
学力低下とは全国平均的なものではないのか?
ということです。
一般に学力低下とは全国的に低くなったと言われていますが、実際にはその基準は曖昧になっているとのことです。
全体的な学力低下を指す学者、メディアもあれば、いわゆる底辺層の増加、成績に格差が出ているという意味で学力低下とみなしている学者もおり、そもそも基準が定まっていないとのこと。そして文科省はそこの分析を曖昧にしているから振り子のように制度を変えても上手くいかないのではないかと指摘されていました。
僕は今まで学力低下はゆとり教育が原因で全体的に下がったものと思っていたので、この指摘には驚きました。もし、学力低下の原因が底辺層が増加しているからならそこにサポートを厚くするだとか、なぜ増加したか原因を探ったりするなど方法はあるはずです。
なのに、ただ一時的に下がったというだけで全体的な学力向上策を打ったとしても果たして学力は上がるのでしょうか?
いずれにしても、何故下がったのかという細かい分析とそれによる明確な学力の基準の制定、長期的な学力向上策が求められていると思いました。
次にお話したのが、大阪府の教育。
大阪府では、教育に成果主義を導入し、民間人校長の登用や成績不振の学校の廃統合、そして結果の出せない教師の懲戒処分などを現在の知事(橋本氏)が打ち出し大問題になっているとのことです。
注目したのは学校の廃統合です。
学校同士が潰し合いをするという事は、結果的に学校の数を少なくすることになります。
地域から学校がなくなることで、通学など負担がかかり家庭に影響が出る他、最悪のケースでは進学できない子が出てくるかもしれない。さらに地域で考えると担い手の流失を加速させ、地域の未来に影響を及ぼしかねません。(格差の助長か?)
学校というのは地域の担い手を育てる意味で根付くべきなのですが、これではやはり都市部だけが成長し
地域がダメになってしまうのではないかと思いました。
他にも、
大阪府民は橋本氏の強烈なインパクトと人気だけで府知事にしてしまった感がある。これも政治に無関心だから実際の政策などお構いなしに投票してしまうのではないか。
民間人校長のようないわば”素人”にいい教育ができるはずない。そんな人に評価されないといけない教師がかわいそうだ。
現場の空気が見えていないのではないか
など、否定的な意見がクラスでも目立ったようです。
橋本氏は
大阪市長選に立候補するそうですが、大阪市民はどのような判断を下すのか注目です。
長くなってしまったので、今日はこの辺で。