高校時代の倫理の授業で、
「人は自分で何かを決定して居るのではなく、その人の置かれた環境によって形成されている」という考えを聞いたことがある。
改めて調べてみると、それは構造主義と呼ばれる思想らしい。
自分は、今までその考えにすがっていた部分があった。
自分が仕事で上手くいかなくてもそれを自分でどうにかすることは出来なくて、自分が身を置く環境を変えれば自ずと自分も変わるかも知れない、そう考えていた。
しかし、それではいつまでも成長できないと、甘すぎる考えだと今になって思う。
自分は3月まで塾講をしていた。
今は就活期間で休職中の身だ。
自分は、とにかく教えるのが下手だった。
最近になって、就活も終わりが近づき復帰も考えだし、
自分の授業について再び考えるようになった。
その中で、自分の授業をなんとかして向上させられないかと考えた。
そこで、一人で授業の時のように喋ってみて、それを録音して聞いてみた。
やはり、分かり辛いなと感じた。でも、どこをどうしたら良いのか分からなかった。
上手い人の授業を見てみたいと思って、youtubeで塾講の動画を探したら、youtubeで中学範囲の授業をしているチャンネルがあり、それを見てみた。
すると、その人はテキストに書いてあるとおりのことを喋っていた。
自分は、今までテキストの説明だけでは足りないと考え、自分で説明を付け足していた。
しかし、その動画を見てみて、全然テキスト通りの説明でも伝わること、むしろ付け足すことで自分の授業は伝わりにくくなっていたことを感じた。
自分は自分のことを過信してしまう性格があって、テキスト通りではダメだ、自分のやり方は間違っていない、と言う意識がどこかにあったのだと思う。
この一件を通して自分の欠点だと思うことが2つあった。
1つは自分で自分を変える努力をしなかったこと。全くしなかったわけではないが、割と表面上の部分(しゃべり方とか)ばかり考えていて、自分自身のやり方を変えようという意識があまりなかったと思う。
もう1つは自分を過信しがちな性格であるということ。自分のやり方を疑わず、テキストのやり方を疑っている自分があった。他にも、自分は人のアドバイスを素直に受け入れない節がある。先人の教えというのは積み上げの上にある知恵なのだから、なにかしらの価値があるはずであり、それを信じるべきなのだと思う。