【韓国時事】
「宗教か、扇動か」――全光勲牧師に逮捕状請求、韓国社会を揺るがす衝撃
こんにちは。
韓国社会の“今”を、法律・政治の文脈から読み解く時事専門ブロガーです。
本日、韓国で最も注目を集めているニュースの一つが、愛第一教会(サランジェイル教会)の全光勲(チョン・グァンフン)牧師に対する逮捕状請求です。
この事件は、単なる宗教指導者の身柄拘束という枠を超え、宗教的信念・政治的集団行動・公権力の限界という、韓国社会の核心を問う象徴的事件となっています。
検察が逮捕状にまで「ガスライティング(心理的支配)」という異例の表現を明記した背景とは何か。
そして、今後の裁判で最大の争点となるポイントはどこにあるのか。
本記事では、その構造を整理していきます。
1.検察の勝負手
「暴力事態の教唆・公権力の無力化」
8日、ソウル西部地検は、警察が申請した全光勲牧師に対する逮捕状を正式に請求しました。
主な容疑は、特殊住居侵入・特殊公務執行妨害の教唆です。
事件の発端は、昨年1月19日に発生したソウル西部地裁乱入・暴力事件。
当時、全牧師の支持者とされる一部集団が裁判所に侵入し、公務を妨害、警察との激しい衝突を引き起こしました。
捜査当局はこれを、単なる偶発的暴動ではなく、
**全牧師による体系的な扇動と指示のもとで起きた「計画的集団暴力」と判断しています。
2.逮捕状に記された「ガスライティング」
最大の法的争点
今回の逮捕状で特に注目されているのが、
「ガスライティング(Gaslighting)」という用語の使用です。
捜査機関は、全牧師が宗教指導者としての絶対的地位を利用し、
信者の心理を支配したうえで違法行為を正当化し、集団行動へと導いたとみています。
検察側の論理
「宗教的権威と信仰心を道具に、暴力的集団行動を誘導した場合、それは単なる意見表明ではなく、実質的な犯罪教唆である」
教会側の反論
愛第一教会側は、
「ガスライティングは非法律的な心理学用語であり、逮捕状に記載すること自体が罪刑法定主義に反する政治的弾圧だ」
と強く反発しています。
この用語が、犯罪構成要件として認められるのか、
それとも社会的危険性を補足する評価要素に留まるのか――
ここが、令状実質審査の最大の焦点です。
3.なぜ全光勲は請求、
「神の一手」代表・申惠植は却下されたのか
今回、同時に逮捕状が申請されていた
保守系YouTuber 申惠植(シン・ヘシク)氏については、検察がこれを却下しました。
法曹界では、
-
全牧師は「計画・指揮の中心人物」
-
YouTuberは「情報拡散の役割にとどまる存在」
と評価された可能性が高いと見られています。
責任の重さと証拠の質に明確な差があったというわけです。
4.運命を分ける要因
「証拠隠滅」の疑惑
裁判所が逮捕状発付を判断する際、最も重視するのは
逃亡の恐れと証拠隠滅の可能性です。
全牧師については、
家宅捜索を前に教会事務室のパソコンを交換した疑惑が指摘されています。
もし裁判所がこれを
「意図的な証拠隠滅行為」と判断すれば、
逮捕状発付の可能性は大きく高まるでしょう。
5.「国民抵抗権」か「暴力扇動」か
社会に突きつけられた問い
全牧師側は、自らの行動を
憲法上の『国民抵抗権』の行使だと主張しています。
しかし市民社会・法曹界の多くは、
表現の自由が他者の権利を侵害し、公権力の正当な執行を物理的に妨害する瞬間、それはもはや自由ではなく「処罰の領域」
と反論します。
この事件は、
政治的対立を法治国家としてどう処理すべきかを問う、重大な分岐点です。
結論
「扇動の時代」から「責任の時代」へ
全光勲牧師の身柄拘束の可否は、まもなく明らかになります。
しかし本質は「逮捕されるか否か」ではありません。
この事件を通じて、韓国社会が
扇動の政治から、責任の政治へと進めるか――
そこにこそ本当の意味があります。
信仰の自由、思想・表現の自由は尊重されるべきです。
しかし、その自由が暴力の免罪符となることは許されません。
裁判所の判断は、
今後の韓国における集会・デモ文化、
そして宗教指導者の社会的責任を示す
重要な道標となるでしょう。
도 바로 만들어드릴게요.



