長篠の戦い以降落ち目となってしまった武田家。
武田勝頼はおろかだというイメージを持ってしまうが意外とすごい武将だったようです。
毛利との同盟を成立させてます。上杉と和睦、上杉の小舘の乱を調停、
長篠までは結構織田とか徳川の城をバンバン落とすほどの勢いがあった。
もちろん敵を多く作ってしまった失敗もあるが。
佐竹と同盟を結んだり佐竹を活用して里見家と同盟を成立させたり、
ゲームでの評価は政治力めちゃ低い人物として描かれているが、
意外と高い政治力だったようです。
勝頼という名前は諏訪頼重から来ているらしく、信玄の信のじを受け継いでない
というのが印象的です。武田家にあって武田家ではないような感じ。
ただし信玄なりに策があり勝頼にかつての諏訪頼重領をおさめさせることで
旧領主が返ってきたような感じで納めさせたいという思惑があったのかもしれない。
織田家でも長男以外は養子に出したり外に出していました。
本来なら次ぐはずの義信が死んでしまったので跡取りにする予定がなかった
勝頼が後を継いだというのも武田家弱体化と関係しているのかもしれない。
勝頼は跡取りに必要な教育をそもそも受けてない可能性があります。
真田正幸が表裏比況の男ということであちこち同盟結んだり保護にしたりしたたかに生きたイメージがあります。
彼とほぼ同じ地域で活躍し似たようなほぼ外交を行っていたようです。
北条や島津みたいに海から攻められる恐れがない隅っこのエリアと比べて武田のようにあちこちから攻められる可能性があるエリアは激戦区で結構大変みたい。信長の野望のゲームやってても結構大変だし。
豊臣秀頼があの若さでタダいるだけの大名で大したことやってないのに比べて
活よりは37でなくなってしまうまでに激動の時代めちゃくちゃあちこち動き回ってあちこちいろいろやりまくったようです。
通常の人間の2~3倍くらい動き回って超忙しい人生だったと思います。
長篠の戦いで優秀な武田家臣のほとんどを失ってしまったのが手痛いと思います。
そこで死んだ武将は名だたる武将なので。
太閤立志伝というゲームをやっていると武田信玄の時代から武田家は周り敵だらけで激戦区なため?
以外にも信玄時代にあちこちと戦う羽目になり領土を増やしたり減らしたりして意外と武田家は早く滅んでしまっていた
のが印象的です。地の利がなかったのかもしれない。
宿敵上杉と和睦したポイントは大きいが、肝心の上杉が内乱の直後で武田に軍を送るほどの
余裕がなかったという点をwikiに記載されていました。
武田家も豊臣も末期はみんな敗軍にいつまでもいると危険だということで結構逃げ出してます。
強くなると秀吉の全盛期みたいにみんなが寄ってくる。
弱くなってくると規律を厳しくしてもみんな隙あれば逃げ出そうとする。
そのようになってから挽回策をいろいろ講じても手遅れ見たいです