かねやんは小学生と中学生の時、本当に軽いイジメに遭ったことがあります(°▽°)



その時、いじめられた人を恨もうとは思わないし、あの時の自分が悪いなとも思わへんねんけど、


なんでそんなことになったんかなーって昔からよく考えることがありました。




そこで心の奥に塞ぎ込んでいたものが湧き上がってきました。





《《《喜怒哀楽の「怒」と「哀」が欠落していた幼少時代》》》




かねやんは、幼少時代、


『泣くことは格好わるい!!!』という思い込みをして生きていました。


小学低学年の時、


「あいつがあいつを泣かせた!」

「あいつ泣いて喧嘩に負けたらしい」

「あいつまだ2回しか泣いたことないな」




小学生男子の中では、

泣く=負け

泣かせる=勝ち


みたいなものがあり、

女子が『ねえねえ、誰が好きなの?』という、ませた会話をするかのように


男子はあの頃、あいつが泣いたよな話に花を咲かせることがよくあってんな(°▽°)




で、かねやんは負けず嫌いやからとにかく誰かにいじめられたり喧嘩しても

絶対、泣かんかった。


いつしか


「あいつ(かねやん)まだ泣いたことない」

「え、嘘やろ?あいつ泣いたんちゃうん?」

みたいに少し泣かない奴として噂されるまでになってんな笑笑




いよいよ、泣いたらあかん!という思い込みは末期になった。



小学生の時に可愛がってもらったお婆ちゃんが亡くなった。


葬式のときにほぼ全員が、ワンワンと声を上げるように泣いてた。


親父も泣いてた。



めっちゃ悲しかった。
とにかく、誰かが亡くなるということがよくわかなかったけど、心にぽっかりと穴が空いた感覚に襲われた。



 でも、かねやんは泣かんかった。


我慢した。



なんで、我慢したんやろう。。。






《《泣くようになった20代》》





今でも


あ、かねやんって泣くんや!


て思われるのがどこか恥ずかしいところがある。


だけど、20歳頃からかねやんはめちゃくちゃ泣くようになった。



映画を観ては泣き

漫才でウケなかったら泣き

振られて泣き

自分の情けなさに泣き

お婆ちゃんを思い出しては泣いた。



どんなに仲のいい友達にも涙は見せなかった。


当時、付き合っていた恋人達や、僕のメンターである女性には涙を見せることがあった。




そんなときに「哀」という感情を抑えていた自分にやっと気がついた。



《《『怒』は良くない感情という暗黙のルールがある日本という島国》》





なんで、「怒」も「哀」も抑えてたんやろ。




原因は家庭環境とオカンの教えにあった(°▽°)



かねやんが4歳の頃。


元々、内気やったかねやんは女の子からいじめられていたwwww



女の子にいじめられても黙って何も言わない男の子やった。



それを保護者の噂で聞いたオカン。


うちのオカンはとにかく血が熱かった。笑




『せいや!!!←本名


なんであんた黙ってんの!!



あんた悪いことしたんか?』




「。。。してへんよ」



『ほな、やめて!って言い。


やめてって2回言い』



「。。。?」




『2回言うてやめてくれんかったら、お前もやり返し。

黙ってやられて帰ってくるな』






その教えから3ヶ月。





久々に親父が保育園に僕を迎えに来た時。



保護者の噂は全く違うものになって、親父の耳に入った。




「あれ、せいやくんやろ?」


ある保護者から、そう言われた親父。


「もう番長らしいな笑」


親父は耳を疑ったという。笑




「せいやくん、もう悪さしては、すぐに他の子に手を出して、いろんな子泣かせてるらしい」







 正直、記憶になかった。笑


そんな話をオカンから聞かされたとき、僕は20歳。


そのとき、一時的に何かの感情のタガが外れたのかもしれない。



だけど、とにかく『怒る』ということが出来なくなっていた僕は不思議に思った。




俺の怒りという感情を出せていたピークは4歳???



そもそもそれは怒りなのかもわからへん。



オカンに言われるままに、他の子に手を出していたなら、それはオカンの教育的にどうなんwてとこあるし。





そんな頃、巷では




自己啓発本に



『怒っても損しかない』

『怒りは抑えたほうがいい』

『怒りを笑いに変えよう』

『怒るとみんな損する』



そんな言葉をやたら目にした。





僕は混乱していた。





そんなときある事件が起こった。



次回に、続く。