第五部・十四ノ二話(花里・菖蒲・又吉) | さらさの「粗野がーる」

さらさの「粗野がーる」

アメーバの携帯ゲーム「艶がーる」の主人公を、28歳・恋愛偏差値20の女性に置き換えた実験的小説を書いています。

あくまでフィクションなので、深く考えずに読んでください

途方もなく悲しくて、干からびるまで泣きたいと思っても、涙というものはいつしか止まってしまうものだ。

自分の体すらままならない、その事実にまた悲しくなってしまうのだが。

 

今朝私がそうだったように、花里ちゃんが号泣していたのは四半刻がいいところだったろう。

 

慟哭がすすり泣きに変わり、やがて力ない嗚咽へと変わる頃、又吉さんが顔を見せた。左手を晒しで吊って、無事な右手に鉄瓶を下げている。

盆の上の湯呑に残ったお湯だかお茶だかを、窓から捨て、生姜の香り漂う鉄瓶の中身を注ぐ。

 

「菖蒲、逢状が届いとる」

 

 

心得たと頷く菖蒲さんに頷き返し、又吉さんは花里ちゃんに渋い顔を向けた。

 

 

「お前は、どうするんや、花里。そなして泣いてたかてかまへんけどな。昨夜の座敷をフイにしたのや。贔屓が離れて難儀すんのは、お前やで。まだ借財は半分、残ってるのやからな」

 

 

「半分」

 

 

私の胸に縋ったまま、呟いた花里ちゃんの声に自嘲の色が濃い。

 

 

「半分どこやおへん」

 

「いいや、半分や」
 

又吉さんが懐から取り出し、どさり置かれた小袋の緩んだ口から顔をのぞかせた銀。

顎で示された花里ちゃんが、震える手で並べて見せた丁銀や豆板は、下がる一方の銀相場でも、二百両は下らないだろう。

 

「こんな・・・いつのまに、こんな・・・・・・」

「わてのおらん時やさかいようわからんが、さくらはんに張子の牛と一緒に、やそうや」

 

又吉さんのその言葉で、誰のどういうお金か、浮かんだ不審がすべて解けた。

 

花里ちゃんのために蓄えられた身請け金、の一部。

島原一の芸子にふさわしい男を標(しるべ)に、駆け出した青年の。

 

「なんかあったときのために預かっておいて欲しい、いうて」

 

 

花里ちゃんの頬がカッと血の色に染まり、素早く伸びた手が豆板を鷲づかみにした。

 

こんなものいらない。こんなものより一緒に生きて欲しかった。そんな思いで壁に投げつけられると予想した豆板は、けれどそのまま元に戻された。

たとえそれが一文銭であろうとも、その重みをみなよく知っている。

 

私は、苦労して銀子から剥がした視線を窓へとやった。

 

格子の向こうで、チュンチュン鳴くのはスズメ。カラスの鳴き声は、現代のものよりずっと長閑に響く。時折混じる印象的な鳴き声は、生き物好きの松虫ちゃんが餌付けしているシジュウカラ。

軒にできたツララが解けて、水の滴る音もする。いつもなら、落下する前にと、男衆の誰かしらが取り除くものを、今朝はそんな余裕もなかったらしい。

 

「嘘ったんやろうか」

 

 

見せてはならないものを零すまいとして逸らしていた意識は、けれど、花里ちゃんの暗い声で引き戻された。

 

 

「あん人は、うちに嘘ぉついてはりましたんか」

 

 

三人ともが眉を寄せたが、「嘘?」と受けたのは又吉さんだ。

 

 

「あん人は、女子が物のように扱われん世を作りたい言うてはりました。そのために、新選組を離れるのやと。そないなことしたら、首斬られたりお腹切らされたりするんやないかと、心配したけども、あんじょうやってはるようやったさかい、そやさかい、うち安心してて。そやけど、ほんまは陰で悪いことしてはったん?それで、新選組に成敗されはったん?」

 

「それは、違うよっ」

 

思わず応えた私に、花里ちゃんの目が、それでは何故かと問うてくる。

 

 

「土方はんは、理由についてはなんも?」

 

「・・・近藤さんを闇討ちにする計画をしていたから、と。でも、そんなはずないと思って」

 

菖蒲さんに問われて答えはしたが、すぐに自分で打ち消した。

 

 

「目の上の瘤とでも、頭の上の蝿とでも、話し合って折り合おうとする人だと思うんです。伊東さんは」

 

 

そうどすな、と菖蒲さんが頷く。

 

 

「それがわからない土方はんでもおへんし?それに、花里」

 

 

ふうっと吐き出された紫煙の向こうで、花里ちゃんがのろのろと顔を上げた。

 

 

「なんえ?あんさん、藤堂はんが悪いことしてはったなら、斬り捨てらたんも仕方ないと思えますのん」

 

 

花里ちゃんは俯いただけだか、菖蒲さんは「できしまへんやろ」と断じる。

 

 

「さくらはんやないけど、理由を知ってどうなります。恨みが募るだけやおへんか」

 

 

さっきから、菖蒲さんは花里ちゃんに手厳しい。彼女を思ってこその厳しさだとはわかっているが、それでも花里ちゃんが不憫に思えてくる。

 

 

「あんさんが惚れたんは、泥の道から這い出して、明るい方へ進もうとしてはった藤堂はんどっしゃろ。泥の中でも立派な志を捨ててしまわへん強さが好きやと言うてましたわなあ。あれは嘘やったんやろか」

 

「嘘ぉちゃいます」

「ほんなら、信じよし」

 

格別声を張るでもなく、常とおなじやんわりとした調子で発された言葉は、それでも花里ちゃんの背に筋を通すに十分な強さがあった。

 

 

「この先何が聞こえてきても、藤堂はんは立派なお人やったと信じよし。そんなお人に惚れられた、己を誇って生きなはれ」

 

 

言うべきことは全て言ったという態で、菖蒲さんは腰を上げ、しゃなりしゃなりと出て行った。

 

その迷いのなさと裏腹に私はどうだ。

相変わらずかける言葉も、起こすべき行動も見つけられず、固唾を呑んで見守るばかり。

 

花里ちゃんが、並べられた銀子に手を伸ばす。

 

ひとつひとつ袋に戻す。

たっぷりと時間をかけて全てをしまい終え、最後にきゅっと口紐を引いた。

 

「桶に水ぅ」

 

 

最後まで言わせず、又吉さんが襖を引けば、長吉さんが洗い桶を抱えて待っていた。

 

花里ちゃんが鏡台に向かう。

鏡を表に返し、映った姿に「酷い顔」と呟く。

 

「そんなことないよ」

 

 

やっと、声が出た。

 

 

「花里ちゃんは、綺麗だよ」

 

 

鏡越しに目が合う。涙に焼かれ、重く被さる瞼がゆっくりとしばたく。

 

簪一本で纏められていた髪が解かれて広がり、すかさず歩み寄った長吉さんが艶のあるそれを梳る。

 

菖蒲さんが言い置いた言葉は、火のついていないマッチのようなものだった。摺って灯すも、摺らずに捨てるも本人次第なそれを、花里ちゃんは灯した。愛しい人を失えど、潰えたわけではない自身の道を歩き続けると決めたのだ。見慣れた身支度風景から、そう確信を得た私は、そっと部屋を後にした。

 

 

奥にある菖蒲さんの部屋から、胡弓の音が響いてくる。哀愁を帯びつつ、伸びやかな調べ。

 

後をついて部屋を出てきた又吉さんと共に、しばし聞き惚れた。

 

「なんていう曲でしょう」

 

「鶴の、巣籠やな」

 

伴侶を得た鶴の番が子供を得、やがてその雛が巣立っていく。その様子を描いたものらしい。

 

 

「みな、いずれは巣立つ。けんど人は鳥獣とは違うさかい。戻れる巣があってこそ、飛び立っていけるのかもしれん。―――菖蒲は、旦那さんのために巣を守ると決めたのや」

 

 

胡弓の調べに気を取られ、又吉さんの言葉を片耳で聞いていた私は、ふとひっかかりを覚えて又吉さんを顧みた。

 

視線の合った又吉さんが、深い呼吸をひとつ。

 

「旦那さんな、出て行きはったで」

 

 

続く

 

 

※初出2018/02/02