いつもの、いつもの、根拠がない妄想
だけれども…。
塩沼亮純大阿闍梨様との対談で
阿闍梨様が"羽生さんの顔が優しくなられた"
との印象を語られていましたが
羽生さんはこういう場合『いやぁ、そんな
ことありませんよ〜』と日本人特有の
謙遜ではなくて、敢えてその言葉を
素直に受け入れていました…
使命があり、役割があるのか?
役割があり、使命があるのか?
卵が先か、鶏が先か?というような
難しい問いに向き合われてきた
お二人の生き様が表情にも現れてくる
んですね…
羽生さんは自分の信頼できる人
尊敬できる人に対しては凄く優しい
表情をすると思うのでいくら羽生さん
といえども、八方美人ではないような
気がします…鏡に映る自身のように
心の有り様を敏感にキャッチする
テレパシーみたいなものが備わっており
羽生さんの顔が優しく見えるという
ことは大阿闍梨様と羽生さんの関係性が
鏡に映る、透明な湖面に映る自分自身
の姿なのかもしれないとそう感じたの
です…『打てば響く関係』
それは共振共鳴の響き合うハーモニーの
ように思いました…
何が言いたい?うーむ、分からないけど
羽生さんは誰に対しても
※公平ではあるけれど
平等ではないってことかな?
(公平🟰その人の状況に合わせて
偏りなく扱うこと)
(平等🟰みんなを同じように扱うこと)
おかしな例えだけど、羽生さんに対して
自分がどういう感情を持つかという
問いが公平と平等の違いなんだと思う…
つまり
羽生さんの顔が優しく
なったというより
大阿闍梨様のお顔が慈悲に
満ちているからそのように
感じられたのではないかと
それが公平ということであり
その人の生き様が羽生さんに共振したと
いうことなのかなぁとファンタジーの
ようなことが思い浮かびました…
神との橋渡しをするかの
ような浄らかな舞…
羽生さんは神との対話が
できるのかもしれない…
神にとってこの現実世界は
憂うべきものなので
あろうか?
そんな人間の苦しみなど
大海に漂う小枝の如く
神の視界には入らないもの
なのであろう…
だが、羽生さんは神に
奉納する神楽により
神と繋がり、私たちは
小さな小さな存在であれど
目を向けて欲しいと
羽生さんは願い出る…
『ならば、己の死力を
尽くして舞ってみよ』
との神のご意志に羽生さんは
一心一意、魂を込めて舞う…
羽生さんが神に奉納した舞は
神秘の世界への門戸を開き
そこから溢れる瑠璃色の
平和と平穏という名の光の玉が
下界へと降り注ぐ…
神と対峙するお役目を担う故
強さと儚さと美しさを
併せ持つ稀有な人である…





