kaネとmo観劇日記

kaネとmo観劇日記

年間200本程の観劇。
その感想やらを忘れないように、記しておこうと思います。

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『ま○この話』終演から1ヶ月。あの興奮を、この節目に少し落ち着いて記しておこうと思う。

何故、麗しき7人の女優たちがこの戯曲に、そしてこの邦題を立てて上演したのか。
それを書き出すと、On7結成の趣旨まで遡らなければならないようなので、
それはまた別の機会にすることにしよう。
だから、今作品に感じたことのみを…

既に前置きが長いな。

それでももう一つ、先に触れておきたいことがある。
それは、今回、公演の1ヶ月前に1週間に渡るワークインプログレス(以後WP)を開催したこと。

台本の初読み合わせを公開し、
美容講座なども開催し、
最後に成果発表と題して、通しに近い稽古を公開したこと。
それを拝見する機会を得たが、もうかなりの形を成していたことを公演を観て理解した。
それはつまり、7人が戯曲に対して深い理解を既に持ち得ていたということと、
演出の谷賢一さんが7人の思いを大切にして作品を構築してくださったのだろうということ。
もちろん精度の問題はあるが、WPで拝見したそれが、本当に見事に舞台で披露されていて驚いた。
それと同時に、
稽古開始に合わせてWPを開催することやクラウドファンディングに取り組んだことなどから、
観客も含めた多くの人と関わり共有しながら創り育てていこうとする
彼女たちの姿勢を拝見することができた。
それは作品と演劇そのものに対する愛情に他ならない。
その愛は紛れもなく、わたしたち演劇を楽しむ観客にも向けられている。
そんなOn7と彼女たちの作品を”好きにならずにいられない”。


■開場■
劇場に入るとセットを目にする。
同時に客席の形状及び舞台の形状を知る。
それはまさにファッションショーのランウェイだった。
いま流行のアリーナ級のそれではなく、
アトリエやギャラリーで開催されるような洗練されたコレクションのそれだ。
これはキャストに対する、いや果敢にチャレンジする7人に対する
演出家からの敬意だったに違いない。
そしてそれは、きっと全女性に対しても向けられているのだと思う。


■オープニング■
美しく着飾って、メイクを決めた7人が力強く登場する。
そうだ。
オンナは美しく鎧を纏って戦闘モードに入っていく。
世の理不尽に戦いを挑む。
スーパーモデルよろしくポーズを決めて客席に笑顔を振りまくキャスト。
それは歌舞伎役者が見得を切る姿にも見える。
その中央で一人、安藤瞳さんが絶望した表情をしている。
或いは疲弊した表情だ。
彼女が投げ上げたパンプスが全女性に向けた「いざ出陣」のメッセージであり、
全男性及び社会に対する宣戦布告の狼煙だ。
それを合図に、彼女たちはまるでプロムの大学生が帽子を投げ上げて卒業を喜ぶ時のように
自らの戦闘服を剥ぎ取る。
吊された衣装を降ろしステージで着替えさせる演出は、
谷賢一さんの故蜷川幸雄に対するオマージュだろうと勝手に思っている。
そうして彼女たちはオーディエンスの前で普段着の自分…
つまり素の自分を曝け出す態勢を整える。
そう、これは真実を解放する戦いだ。
さぁ、いざ勝負。
★ただ、このあと客席に「~ですよね。」と語りかけるのだが、
 この語りの方が着替えを見せることよりよっぽど恥ずかしく、
 今作で最も難しいシーン及び台詞だったのではないだろうか。
 少なくともわたしは、こそばゆくて、一番直視できないシーンだった。
   
      


■毛■安藤瞳さん
作品中、通して、安藤さんがコンダクターを担う。
その彼女が口火を切る。
夫の性癖による剃毛強要という性的虐待。
そこから派生する夫の浮気。
そこに、欧米では珍しくない性交渉に関わるカウンセリングが一石を投じる。
女性セラピストからの理不尽な提言を一人三役で再現する様が滑稽だ。
その如何にもな雰囲気のセラピストと、
提言をご褒美と捉える夫の、剃毛に没頭して流血にも気付けない様から受ける絶望と激痛。
一人芝居の質が上がれば上がるほど、
その可笑しさと彼女の絶望とのギャップが浮き彫りになり切なくなる。
●男の愚かさが嘆かわしい。


■大洪水■保亜美さん
メンバーが保亜美さんにスカーフを巻き付けたりスタイリングして老婆を作り上げる。
仕上げは90度近く折った腰。
見事に可愛らしいお婆さんが現れる。
自身の女性器についての話を求められた老婆の恥じらいと苛立ちを、
悪態を吐くことと逃亡しようとすることで立ち上がらせた。
逃げようとする彼女を引き止めるメンバーが(引き止めることを楽しんでいる面も含めて)可愛い。
話を聞く様子が回を重ねる毎にオーバーアクションになっていったが、
老婆の話を有り難く聞き入るという関係性が見えて微笑ましい。
保さんが発する「地下室」や「閉店」という言葉が、恐怖と絶望、そしてトラウマを感じさせる。
話し終え立ち去る彼女。
袖で腰を伸ばし老婆のベールを脱いで、初めて人に話したことを告げる。
その後ろ姿に鼻の奥がツンとする。
彼女は何十年も縛られていた苦しみから解放されたのだろうか。
あの後ろ姿の持つ意味は、まだもう少し宿題にしておこうと思う。
●男の度量が女性の幸不幸を決めることを実感し、身震いする。


■ヴァギナ・ワークショップ■渋谷はるかさん
個人的に一番辛いエピソード。
男としての責任というものを考えさせられる。
人間に与えられた快楽。
男は行為の最後に絶頂を手にする。
しかし女性は必ずしもそうはならない。
その理不尽を突きつけられ愕然とした。
果たして充分に理解している男はどれほどいるだろうか。
女性がそれを手に入れるスイッチを、倒したソファーに顔を乗せて表現する小暮智美さん。
可笑しいのだけれど、それでいて神秘的。
渋谷はるかさんが語り始めると、会場の空気が一変する。
理想の女性像と、自分の奥底にくすぶる欲望と、満たされない苛立ちが溢れ出す。
そうした感情が呼び水になって、身体的欠陥者ではないかという恐怖と、
「中心」発見の驚きと安堵のカオスが生まれる。
戸惑いの果てで、
すべてと繋がったと語る恍惚の表情の中に、彼女と渋谷さんが一つに融け合って見えた。
いつでも快楽に手が届くという安心、いや余裕を手に入れた彼女に、
もう男は太刀打ちできない。
渋谷さんは毎回あのピリピリの緊張の世界へ連れて行ってくれる。
感服。
●男よ、独りよがりではいかん。奉仕せよ。
★余談だが、ソファーで見守る宮山知衣さんが妖艶で困った。


■彼がまじまじ見るから■小暮智美さん
WP時と比較し、最も進化したパートではなかろうか。
WPで小暮さんが客イジリにトライされ、その相手に選ばれたことは光栄で幸福だった。
それでも、男とのやりとりを一人芝居で再現した本公演は見事だった。
出会いから発展への不自然さも、男の性癖も、
小暮さんの絶妙なデフォルメで上質なコメディに仕上げられた。
あの右足は生きていた。
命を宿したと言ってもいい。
シーツを巧みに使い、潜った男を魅力的にした。
客席の男たちは皆、男に感情移入して興奮したはずである。
可笑しいのに、堪らなく淫靡だった。
BGMもエルビス『好きにならずにいられない』で始まって、
ビートルズの『愛こそはすべて』で締める…というか歓喜に沸かせる
という流れが見事な演出だった。
●男の拘りも、共有できるモノなら可愛い。
★余談だが、椅子を抱いてSEXを連想させるシーンで、
 小暮さんがバックを披露しようとした回があって度肝を抜かれた。
 大笑いした。
 身を削ってチャレンジしてみせる彼女の、作品に賭ける情熱に敬服する。


■おまんこ様はお怒りである■On7

このコーナーの持つ意味・意義は大きい。
パーソナルな主張や告白であるからこそ、人の心を打つ。
稽古を積む中でトライ&エラーを繰り返し整えてきたのだろうが、
実際はどれくらい自由が与えられていただろうか。
ゴングにパフォーマンス性があったにせよ、「言わせろ!」感は増長され、盛り上がった。
また、7人が互いの主張や告白に影響を受け、支え見守る姿が美しく印象的だった。
★このコーナーを全公演収録してないのだろうか。
 7人の全ての叫びを拝聴したかった。
 『DVD特典 全公演のお怒り収録』なんてものがあったら、かなり売れただろうに。


■私のヴァギナ、私の村■吉田久美さん
最も重い話で、聴衆の心が最も痛み軋むモノローグ。
秋元松代の『マニラ瑞穂記』という作品に
「オンナだって戦ってるのよ!」というような台詞があった。
それは戦争の最前線で戦う男たちをカラダで慰め、力づけながら稼ぐことを意味していたが、
これはその対極だ。
レイプによって引き裂かれた肉体と精神。
その恐怖を表すべく、6人が吉田久美さん一人を残して出て行く。
大きな音を立てて閉められた扉が恐怖を増加させる。
このモノローグだけはたった一人だ。
吉田さんは、健全だった村とカラダ、陵辱された国とカラダのことを混濁させて語る。
混乱し脈絡を失った話と嘆きが白痴に見せる。
ハムレットの愛を失い発狂したオフィーリアのよう。
あのセットと照明、そして「今は別の場所にいる」という台詞から、
彼女が個室病棟に収容されていると連想し震えた。
万華鏡のように表情を変え、感情の起伏の激しい彼女を生きること。
それが数分であっても、吉田さんの心身にかかった負担の大きさは計り知れない。
●男は野蛮で無慈悲で愚かだ。男であることが嫌になる。


■”ヴァルヴァ・クラブ”改め、ミホトの会■宮山知衣さん
このモノローグを『ミホトの会』と改名した谷賢一さんの功績は大きい。
今作品には、
「ヴァギナ」という女性器名称を「まんこ」と呼ぶことに躊躇するということが根幹にある。
その苛立ちや困惑を解消する提案であり、目から鱗が落ちる思いだ。
ましてや古事記にまで遡った日本古来の言葉によるという神話っぽさが、
愛着を抱かせるのに申し分ない。
「美火戸」漢字もイイ。
黒魔術のような儀式を行う不思議少女を宮山さんが怪演。
「ミヨコ~トゥミトゥミ~レイジ~ポコタ~ン」は今でも頭をグルグル回っている。
ちょっと舌っ足らずの幼児言葉で甘えたように喋るノリノリの宮山さんがツボだった。
これまでのイメージを完全に打ち破った。
「ミホト」に巡り会ったときの表情が可笑しすぎ。
座席番号A列6番(付近)の男性に迫る件にも驚いた。
★わたしも一度その席に座る幸運に恵まれた。
 しかし、あまりの速さに気づいたら目の前でアワアワした。
 何も出来ぬまま(しちゃダメだけど)一瞬のうちに行ってしまった。
 嗚呼、もっと堪能したかった。不覚。
●男も一緒に楽しんであげられれば平和で幸福なんだな。


■まけるな!ちっちゃなクーチ・スノーチャ■On7
一人の成長を7人で追った。
悪戯(触ること)を我慢した渋谷さんが超キュート。
ベッドのスプリングでハプニングの保さんが可愛すぎで可笑しすぎ。
   
衝撃の事件で座り込む小暮さんの可愛らしさが、会えなくなった父親の気持ちになって切ない。
そこからの転落期が悲惨すぎて息苦しい。
彼女を救ってくれたのは神や宗教ではなく、友達でもましてや男でなどあるはずもない。
メシアは綺麗なお姉さま。
それもその世界でしか生きられないようにしたのではなく、
ノーマルに(バイ込みで)導いてくれた。
体操?で息を切らしてママに秘密を持った安藤さんが素敵。
そして転落期の小暮・尾身ペアがみんなに労われ祝福されているのが微笑ましく、
父親気分で安堵した。
●男ってちっちぇーな。


■ヴァギナを喜ばせし女■尾身美詞さん
最も華やかなコーナー。
その華やかさに紛れているが、男の不甲斐なさが前提にある。
それを補う救いの手は女性である事実。
結局、女性を悦ばせることが出来るのは、自分自身か同性。オトコよ目覚めろ。
覚醒したのは尾身美詞さん。
真っ赤なドレスが眩しい。
それでガーターベルトと黒い下着が露わになることも厭わず、
何パターンもの喘ぎ声をレクチャー。
尾身さんは恥じらいを見せず、楽しんでいるように見える。
それはまるでスポーツのよう。
彼女を取り囲むSPのような黒服にサングラスのブレーンがカッコイイ。
そのくせ舌なめずりしたり頷いたりする姿が可笑しすぎる。
一人、インテリ女性秘書風なメガネの宮山さんが輪をかけて可笑しい。
6人の可笑しなサポートが卑猥さを軽減し、エンターテイメントに転化したワザだ。
●男って…バカだなぁ。
★それにしても、どこまでが戯曲にあり、
 ネコ型ロボット系を筆頭にどこからがオリジナルなのだろうか。
 また、メンバーで「こんなのは?あんなのは?」とレクチャーし合ったことを想像すると
 笑ってしまう。


■私はそこにいました■安藤瞳さん~On7
   
女性であることが厳かで神秘であるモノローグ。
唯一、他者としてのモノローグ。
妊婦と新しい命を慈しむ安藤さんの柔らかな言葉と表情が神々しい。
セットと照明がステンドグラスを思わせ、まるで教会の中にいるよう。
7人が愛を繋ぎ、言葉をリレーする。
やがて、モノローグの視点は胎内の人へと移る。
舞台中央には小さなスポットライト。
これは、差し込む「きらめく光」だ。
それが脈打つように微かに広がったり狭まったりしている。
つまりそれは「社会の窓」だ。
「社会の窓」は男のズボンなんかには無い。
母となる女性の美火戸だ。
果たして君の瞳に「きらめく光」の向こうの世界は、どう映るのだろう。
わたしたちは、どんな世界を用意しているのか、もう一度顧みなければならない。
両手を広げて迎え入れるのなら、その責任について考える必要があるはずだ。
●男は、ただオロオロとして、祈るしかない。







これは奇跡の公演だ。
同じキャストとスタッフで再演したとしても、絶対に再現はできない。
なぜなら、生き、生活していることの全てがダイレクトに影響を与える作品であるから。
7人が抱える問題は解決したり変化し、また新たな問題に頭を悩ませているだろう。
だからこそ、その時の生き様を晒す公演として、いつかまた披露してくれることを期待したい。

On7第3回公演。
0回公演を含めれば4作品と番外のパフォーマンスを合わせても、
一つとして同じ色、同じ匂いのするものがない。
On7七変化。
それこそがOn7がOn7 たる意義であり所以だ。
次はどんな新しい顔を披露してくれるだろう。
七変化を超えて、二十面相でも百面相でも、万華鏡までも追いかけよう。
彼女たちの挑戦が、演劇の世界に新しい風を吹き込んでいると信じている。
その風がたくさんの可能性を巻き上げ、
大きなうねりとなって、
素晴らしい作品がたくさん生まれることを願う。