ゴールドラッシュ起こる予定の

ゴールドラッシュ起こる予定の

とりあえず放りこめ。掘り込め 金が出るかごみが出るか石油であなたの顔が汚されるか いつ枯渇が見えてくるか。それとも金が自己増幅し始めるか 何が出るかはあなたの能力しだい 能動的でも受動的でもお好きに: いいもの発掘したら教えてね。

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環境で人が変わるというなら、僕の部屋がキレイに整頓され、何がどこにあるのかが把握され、定期的に棚卸しされ、必要と不要の仕分けがきちんとされれば、確実に変化は起こる。

自分がどれだけ自分の力を過信して、なおかつ可能性を制限しているのかは、俯瞰しないとわからない。俯瞰するには、遠いところに行くのがいいだろう。

掃除、整理整頓、食事、酒、タバコ、練習、新規学習。

一人でじっくり考える時間。僕はこの習慣が全然ない。

SNSをやる頻度は極端に減った。何か変わった?変わったかもしれない。

物事に対する反応は少し素早くなったと思う。

何かを発表する習慣。アウトプットの習慣。

自分に得意なことはこの前のテストで把握した。
それを掘り進め、弱点の排除は趣味にとどめておくこと。

弱点と、メンドくさいからしていないことは違う。

めんどくさいことをするのが苦手、ならそれは確実に克服する価値はある。

部屋は確実に、少しずつキレイになり。腹はとくにかわらず。

もっと素早く、新しいことをするのが好きならしていって、そのループを早くする。
ためには、いらないものを捨てる、整理する必要がある。

ミニマリストにはならない。

天然ボケの部屋は汚いらしいが、僕は天然でうまく生きていける人種ではなさそうだとこれまでの生活で思う。
だから、やり方を変えてみる。

ある夜、家に帰ると、美しい文字の手紙が届いていた。
深秋の候、とはじまる文章もすばらしく、何度も読み返してしまう。
差出人は書生の編集者で、どうやら仕事の依頼らしい

この世には完ぺきな依頼状というものがあるんだなあ、とうっとり眺めながら、こんなにきちんとした手紙を書く女性も、恋人と二人の時は甘えたりすねたりするのかな、と思う。頭の中にソファーの絵が浮かんだ。クリーム色のつやつやしたソファーである。

何故ソファーなのか。どうやら、僕の脳内では、恋人たち=ソファーということになっているらしい。僕はこたつのある部屋とベッドのある部屋には住んだことがあるが、ソファーのある部屋には住んだことがないのに妙である。
運動:ボクササイズ 掃除:シーツの埃払い、ベッド横の落ち物拾い カメラ:広告用撮影 本:仕事、篠山紀信、魚住、羊、黒田繊理 睡眠:ソファで6時間 タバコ:一箱 写真を見る:全集、篠山紀信 髪を切り、喫茶店にてのんびりというより瞑想に近い整理作業。 素晴らしい。寝よう。17:45もしくは21:15に起きる。 俺は天才だ。 エネルギーは有限だ。 しかし泉は無限だ。
運動:歩いて帰った。おかげで指を置く展が見れた。
掃除:袋1つ。トランペットの箱
カメラ:スナップ。雨の感じを上手に取りたい。
本:時間術の本50p
睡眠:8時間。めざましの設定をしくじっていて焦る。目が覚めたら何時でも起きる習慣を付けないと。
タバコ:8本
写真を見る:

燃え上がる状況。これはチャンス。睡眠をしっかり取って、落ち着いて、考えて、確認して勝負。
引き寄せの法則を使用するとしたら、まずは周りの人間関係からかもしれない。
徐々に気が狂っていく
叙々苑で焼肉食べたい

上記の2文は、大体一緒のことを言っている。違うという人がいれば、それは杞憂だと慰めて上げていただきたい。そして、その肩を抱きながらおもいっきり後ろに倒れて、相手の後頭部をその硬い地面に叩きつけるのである。私はあなたを炊きつける。

その窓に写った夢だけをスクラップブックに閉じて、半年間の露骨な、贈収賄事件の砦はふれあいを失った。

きっとクーラーの設定温度が低すぎるだけなんだろうけどさ。
現在僕らがこうして笑っている間に、時計の針はその動きを止めようとしている。つぶさなビートの隙間隙間に私たちはいるのだ。いつだって君は、腕時計を右 の手首から左の手首に換え、またその反対をする事を続けている。時計を気にするな、と言っても日は昇り沈むのだから時はどうしても僕らの細胞膜をすり抜け てくる。浸透圧が不安定になり、イオンと時分子が交換される。仮に、陽が昇ったままだと考えよう。どうなるのか。ぱっと思いついたのは、どんどん熱せられ てカラカラになってしまうこの星の姿だ。不思議なことに、その光景を想像して僕はなんだか気分が良くなってしまった。それはきっと、ゴミの中から真珠を見 つけるような、そういった種類の出来事なんだろうけど、まあ単純に不思議といえば不思議である。

時計の針が再び動き始める。もしかする と、針はずっと動いていたのかもしれないし、かもしれない。継続的な断絶には、永遠を見いだすことが可能である。時計を裏側からみると、針は通常と反対に 回る。当たり前だがこの事実はロニーにとってとてもショッキングな出来事であった。つながりが断ち切れるのを感じた彼は、食べかけのカレーライスを残し、 カレーと米粒がいくばか付いたままのスプーンを持って教会に急いでいた。教会の前では、ミルトンの失楽園(パラダイスロスト)を持った1人の少年が首を 吊っていた。さっき吊ったばかりらしく、まだその体はビクビクと痙攣している。痙攣とは別に、西の方向、太陽が一番高く昇る方向から吹く風が、少し長めの 少年のブロンドの髪を揺らしていた。反射する光に目をしかめながらも、男は少年の観察を止めようとしない。少年は胸に「カートコベイン」と筆記体で描かれ た袖の長すぎるトレーナーを着ている。深い青色をしたトレーナーの襟元を濡らす吐瀉物。失禁のためにかすかに濡れている緑色のスラックス。靴はきちんと足 元に揃えられて置いている。たしかこれはサドルシューズという種類の靴だったはずだ。クリ
ーム色と茶色のコンビネーションがイカしているぜ。

ベ ルトランは少年の手から本を引き剥がしてページをめくっていく。蛍光ペンや赤ペン、鉛筆などで書き込み、マークがあることからスウェーデン人のウィシュ イッツ刑事はこの本が複数の人物の手を渡ってきたことを推測する。本の最後の方をめくると、写真が一枚挟まっていた。比較的最近プリントされた写真のよう だ。白黒のその写真は、ブレとピンボケのひどいため被写体が何かを伝えることは全くなかったが、それでも、なにか禍々しいものに関係があるということはそ の写真を見たものは誰にでもわかる用に作られている。写真の可能性を示す作品として、美術商が大枚はたいて買っていってもおかしくないとドリーはその手紙 に書いている。


少年の痙攣が止まり、教会以外墓しかないというこの奇妙な渓谷はその力を強める。
その熱情をもっと人のためになることに活かせよ、と言われた僕は怒り狂ってそいつの頭をゼリーになるまで壁に打ちつけた。隣の部屋の住人は怯えるばかり。 写真集でこんな情景を見たことあるなあとか考えながら、みだりに人を傷つけてはいけませんという母の教えを思い浮かべる。ふわふわ浮かんで来たのは青白い 雲で、僕はそれに乗って東に行くことにした。!と?の境界線の上で僕は宙返りをする。何度も何度も、失敗するまで繰り返す。だんだん境界線が薄くなってき て、僕は痴情のもつれの真っ只中に放り出された。お見事!
六道不可思議天烈魔導

愉快に走る六回生の背中を追うあの子。
その端を見始める扉

レンコンはいつも扉の隙間に挟まっている。

僕はそんなやつを端から一気に引きぬく。

無用の長物と化したレンコンはいつも悲しそうな眼をしているが、ぼくにはそんなこと関係ない。全てはレンコンのためでなく、かぼちゃを大事にするあの子のためなのだから。

あの子と出会ったのは12月のちょっと寒い日、僕がちょっと寒いというくらいだから一般の人には大概寒いと考えていただければいい。

そんなことより、彼女は、その日のあの子は天使すらブサイクに見えるくらい美しかった。美のイデアより美しく、そうなるともはや美では形容できないが、僕はそんな言葉を持たないので仕方なく美よりもすごい美しさと形容するほかない。

あ の子は僕の存在など意にしない様子で、くるりくるり、ひらりふわりと円を描いて踊っていた。両手を大きく広げて、肩より少し高い位置でふらふらさせてい た。彼女の回転の軌道は、どこかしら、なんとなく、竜巻のようだった。でも優しい竜巻。触れたらきっと気持ちいいんだろうなと思う風を巻き起こしながら、 彼女は笑っていた。僕は彼女のその様子をみて、なんだか少し悔しくなった。彼女のダンスに僕は加わることができない、と。彼女のダンスは優しいのだが、僕 が加われるような場所は全く見当たらない。でも僕は一緒に踊りたいと思った。それで僕は彼女の視界から移動し、僕だけが彼女を見ることができる場所まで移 動し、ステップを踏み始めた。

すたん。すとん。てくてく、とんとん。
すてん、ころん、とんとん、ぐるん。

こんな 感じで踊りながら、彼女の作る優しい竜巻を見ていた。僕がぐるぐる回るのも加味されて、彼女の回転はさっきより更に不可思議に見えた。彼女はこのまま消え てしまうんじゃないかという変な気持ちに襲われ一旦足を止めて彼女を見据えると、そんなことはなさそうだ。だから、また僕はステップを踏むことにした。


だんだん、どん、ぐらん、ぐん。
ててて、すとん、ぐいん、ぎゅん。


彼女と一緒に踊っている気分に僕はなったが、彼女はそんなこと全く知らんない。
でもそれは問題ない。僕が求めていたのは彼女と一緒に踊ることであって、彼女に一緒に踊ってもらうことではない。

考えれば、逆に彼女が一緒に踊ってくれたら、僕は自由に好きなステップを踏めないだろうと思う。

それはすごく悲しいことのように思えたが、まあそんなもんだろうなと思い、諦める。

僕は変わらずステップを踏み、躰の軸をぐるぐる回す。

僕はダンサーだ。舞踏家だ、バレリーナだ。

あの子は竜巻で、竜巻で、竜巻だ。

気がつくと彼女は踊るのをやめて、地面に腰をおろし、両足を抱えていたが、僕は気にせず踊り続けた。僕が踊っていたのは踊りたかったからであり、彼女と踊りたかったのは僕が踊るための口実に過ぎない。

彼女を彼女が知らぬ間に利用し、僕は今踊っている。罪悪感もないことはないが、彼女はそのことに気づいてないだろうからまあいいかと思い僕はステップを踏む。大きく回る。目を回しながらぐるぐるまわる。まわる。


あの日のことを思い出すたび、大抵そのことを思い出すのは深夜のファストフード点のカウンター席に座っているときなんだけれども、僕はなんだか。
けったいにけむくじゃらに、ストーリーのストーヴィングは進む。とりわけあの部分が好きなんだけど、とりたてて好きというわけでもない。つぶらな瞳に見つ められ、劣情をかき立てられ、ズボンの前は膨らみ、とちつてた、と日常使わない音節の繋がりを口に出してみる。意味がないという点において、それは呪文の ようであり、呪詛に近い。風雲タケシ城を僕は見たことがなくて、それがコンプレックスになってしまっているのだけど、そんなことを気にするなといつも言わ れる。たしかにそうだよな、とは思うのだけど、コンプレックスってのはそう簡単じゃない。気になって、気にしたくなくて、それを望んでしまっていたり、そ ういうのがコンプレックスというものである。コンプレックスの定義など知りたくない?そんなことはないよ。君も知りたがっているんだ。いわば、コンプレッ クスへたいするコンプレックスである。
いや、笑ってくれたまえ

この空っぽさ、

僕はあまり悲しくなったりはしない。

空っぽな感じになることはたまにある。

でも今日考えたのは

この空っぽさは悲しさなのではないかということ

悲しみは虚しさということなら

このカラっぽさは

悲しみといえるんだと思う

僕がこの空っぽさを

悲しみと言わないのは

僕が悲しみのことを

どっかから落ちることや

何か理由を持つものと考えているからだと思う。

例えば悲しいストーリーや

悲しい生活

空っぽというのは

悲しむ対象がないっていうこと

しかし、この悲しむ対象を持たないという事を対象に

悲しんでいるのかもしれない。

この悲しみは

持たないこと、または持つべき対象を持たないことに起因するのかもしれない



まあとにかく、虚しいんだよ。


悲しいのか、虚しいのか、どっちなのかについてはあまり


考えることに意味はないのかもしれないが、

分類好きな動物である人間として

悲しいのか虚しいのかははっきりさせときたいんだよ。

どっちなのかによって

対策は変わるだろうしさ。

悲しいのであれば、その対象に対して働きかけることは比較的容易である

虚しいときは、虚しいこと、それ自体が悲しいので

どうにもしにくいのである

虚しいときは、僕はそんなに辛さを感じず、それが辛い。

感情の起伏といふものはある程度楽しめるから。

ジェットコースターのように


しかし、虚しさには動きがない

移動することもない。

ジェットコースターはどこかに行けるが

虚しさはサラサラとした監獄だ。

ネバつきなく、砂漠


悲しさにはストーリーがあるが、

虚しさにはなにもない。


虚しい状態、それが既に到達点である。

かと言って閉じ込められている感じもない。

閉じ込められているなら動きたくなるからだ。

虚しいときはやっぱり砂漠だ

ガラスに写った店内と、ガラスに透ける御堂筋を走る車と、風で大きく揺れる樹

店内に流れるハウスミュージックがこの虚しさを作っていることは間違いないように感じる

虚しさは穴の底ではない。

しかし虚しさはいつまでも続くことはない。僕においては。

では、砂漠はどのように平均的な僕が持つ風景にその景色を変えるのであろうか。

水が溢れ、木々が生え出すのか


寝ることはひとつの解決策である。

寝たら風景はリセットされる。

しかし実際には起き続けていても虚しさは知らずの間に消えていく

朝になることはそのひとつだ。

朝が登らなかったら、白夜の反対である黑昼が来たらどうしよう。

火を灯すのか?いや、火は逆に黒を際立たせる。

明るい部屋に入る?

僕は明るい部屋にいながら暗い外を想像する。


いったい僕はどこに行き、何をするのか。

僕は何を食べ、何を吐くのか。


そんなことは


ともかく、疲れが足りないんだろうな。

しかし、

この文章を書いていると

だんだんと気持ち良くなってきた。

ちょっとした変性意識に入っている。

ギターを弾くのとはまた違う感じ。

本を読もう。

そうだ、本を読もう。

立ち読みじゃなく、座って、本を読もう。

そして頭に本からの単語を広げるのだ。

どのように?記憶と単語を結びつける?


そして古着屋で新しい柄に出会う。

僕は、いつも、そんな感じで生きてきた。


これから、1か月後、1年後、半年後、5年後


悲しくてたまらない。たまらん。


でも楽しいことがいっぱいあることを知っている。

知っててよかったんだよな。

もし知らなければ、と想像したら躰が震えた。

知らなかったら死んでるよな。



生きる為の術、


生きるには食事が必要で、


ホームレスになってもなんとか生きていける。日本では野外で生きていけるようになっているんだ。あぁ、ヘロイン、アヘンをやりたい。アッパーなものじゃなくて。

こんなことをいってもハッパ吸ったらどうでも良くなるんだろうな。しかし日本では吸えない。


淘汰の世界

未来が僕に飛び込んでくる。


未来と僕がぶつかる瞬間、生まれる何か。

僕が生まれて、未来が生まれる。

僕と未来の重なりあうそのほんのすこしの境界線、


僕はつかれているのか?憑かれているのか?

かもしれないし、かもしれない。

マイケルの素敵な言葉、

今まで生きてきた中で、言葉をもらう、という感覚を味わったのはこの一節だけかもしれない。

かもしれないし、かもしれない。

ものすごい自己肯定的なフレーズだな。

maybe, or maybe

まちがっても

僕は死なないし死ねない。

こんな日は歩くのがいいか?とどまるがいいか?