今の世はこのままでいいのか?
そう考えたとき、私は今のままでいいとは決して思えない。
なぜ思えないのか?
それは子どもたちに今の世界を引き継いでいって欲しいと思えないからだ。
その主なテーマは・・・
引きこもり、不登校、うつ病、ニート、自殺、いじめ、
離婚、差別、環境破壊、過労死、ネット依存、
拝金、人工食、人工医療・・・いろいろある。
逆に良いことは・・・
引きこもり・不登校・うつ病・ニートによる個人主張、
自殺による人生をかけた個人主張、
いじめによる所属への希求、
離婚による自己への省み、
差別による自己欲求への気づき、
環境破壊による自己反省の気づき、
過労死による仕事に対する気づき、
ネット依存による自己欲求への気づき、
拝金によるもっと大切なものへの気づき、
人工食による食の大切さへの気づき、
人工医療による人間の体への気づき・・・と。
いろいろな問題は
新しい世の中を取捨選択するための大きな人類体験となる。
問題を問題のまま残して、
死んでいきたくない。
問題を問題のまま放置して
子どもたちにバトンタッチしたくない。
①「これはみんなにとってどういうことだろう?
みんなが幸せになるために私は何ができるだろう?」
こう考えるのか。
それとも、
②「これは私にとってどういうことだろう?
私が幸せになるために私は何ができるだろう?」
こう考えるのか。
どちらの考えを選択する人が多数になるかで、
この先の世の中は全く異なるものとなるだろう。
私はアドラー心理学で
この大切なことを教えてもらいました。
①を共同体感覚といい、
②を自己執着という。
良いか悪いかの価値判断は個人個人で決めることだけど、
②の自己執着が増えた結果として問題が表面化しているのだろう。
①の共同体感覚が育てば、
家庭・学校・職場・地域・社会は協力的となる。
②の自己執着が育てば、
家庭・学校・職場・地域・社会は競合的となる。
今の日本の社会は
自己執着&競合的に生きつづけた結果だろう。
社会全体の雰囲気が自己執着&競合末期になって、
あらゆる問題が表面化しているのだろう。
もしそうであるならば・・・
自己執着&競合的な家庭・学校・職場・地域・社会ではなく、
共同体感覚&協力的な家庭・学校・職場・地域・社会を
どうやったら作っていけるかを考えたい。
アルフレッド・アドラーは晩年、
「育児」と「学校教育」に力を入れたという。
それは、共同体感覚のある子どもたちが
明るい未来を作っていってくれると信じたからだろう。
私も心の底から共感する。
大型台風で畑や田んぼが壊滅状態になってしまったのなら、
自らの身はボロボロに倒れながらも、
せめて新しい種を必死に残して死んでいくのだろう。
新しい種には壊滅状態を乗り越えた遺伝子が必ず入るから、
その知恵を伝えて死んでいくのだろう。
子どもたちが協力的に生きれるような社会になってほしい。
でも大丈夫だ!!
子どもたちはNO!としっかり主張できている!!
未来は明るい!!!
そのために私は何ができるだろう?
きっとその一つは
子どもたちがアドラー心理学的な日常を実践できるように
サポートしていくことなんだろう。
そういう人が一人でも増えていき、
あるリミットを突破したときに
きっとその世界は実現するのだろう。
by Shinji