
2013年 野口晴哉先生の「体癖」から
大事だとと思うところを書いておきます。
個人の人体構造を詳しく知りたいと思い
三十年間、十万人を越えた人を観察して
人間の原形的体というものを十二種類
四八類に分けて詳しく書かれています。
内容は本を読んでください。
◎人間の体は昔より丈夫になっただろうか
原始この方進歩したのだろうかということ
である。
積み重ねた知識の凝集によって作り上げた
機械や器具を使えば、像の持ち上げられな
い重いものでも持ち上げることができる。
虎の噛み砕けないものでもくだくことが
できる。
しかしその機械、器具を使わなかったら、
人間は昔の人より力を発揮できるだろうか。
望遠鏡を捨てても肉体そのものの眼で昔の
人より遠くが見えるだろうか。
遠くの音が聴こえるだろうか。
歯は昔の人より固いものが噛めるであろうか。
腕の力は、脚の力は、胃袋の力は、と考えて
いくと、人間の体は果たして丈夫になった
だろうか。
傷ついたり病んだ時の快復力はどうだろう。
ある人はいう。
金大医学の進歩は目覚ましく、体の解剖的
構造はもとより生理機構も心理機構も
明らかになり、レントゲン診断を始め
いろいろの薬物、外科手術あり、加わうるに
科学の枠をつくした衛生施設、治療施設あり、
また諸々の研究を重ねた書物あり知識あり、
殺菌も消毒も完璧に行い得る。
それ故、当然快復の力は充実し、歯や腕力の
ことはともかく、人間の体はこの面では
進歩したはずだと。
しかし、それは体が進歩したとか丈夫に
なったとかいうこととは違うことである。
体を守るための方法、庇う方法、また体の
力を補う方法が進歩したというだけである。
鎧が厚くなり、刀が長くなったというだけ
のことであって、その重くなった鎧のために
中身の人間の動作が不自由になり、長く
なった刀に振り回されるようになったと
したら、体としての進歩だろうか。
レントゲンを使ったために白血病が生じ、
そのヤクブツノ故に耳が聞こえなくなり、その
技術の故に臓器や手足を失なったりしている
人は少なくない。
町の角々には病院が立ち並び、しかも入院
患者は一杯である。
街を歩く人は無気力でその脚は重い。
消化薬、睡眠薬、栄養剤等々、次から次へと
新薬、新療法が紹介されるのは何故か。
理由は多くの人がそれを必要としているからだ。
何故必要とするのか。
その如く体が無気力になって、何ものかに
依りかからないと不安なのである。
新しい宗教や健康術があふれるのもまたその
ためといえよう。
医学が進歩し、医術が普及したというのに、
これは何としたことだろう。
そのために、人間の体は庇われ補われると
萎縮をきたす性質をもっているのまから、
医学は進歩ということが今日の如き体の
退歩の基となったのではあるまいか。
古語に「医は医無きを期する」とある。
医学が複雑な方法手段、多岐他端な衛生方法
その膨大な形になっていることをもって
医学の進歩というが、それは間違いであって、
人間の体を丈夫にするためには退歩といって
よい。
進歩は方向違いのmenに表れ、体を丈夫に
するということとは違ってしまった。
元来、体の丈夫な状態とは寒暑風湿をもの
ともせず、食べるに選ばず、なんでも旨く、
働くに溌剌として疲れず、疲れて快く、
眠って快く、守らず庇わず補わずとも、
いつも元気で活き活き動作し、その患いも
何もせずに自ずから経過して新撰組活発と
なり、雨も風も苦とせず、いつも軽快に
行動し続けられることをいうのである。
進歩ということは人間の体の外側に行われ
体そのものの進歩ではなかった。
残念ながら、古代人に比べるまでもなく、
二、三十年前の人より体力も気力も低下
したと見ざるを得ないのである。
そのために、庇い守ることが発達普及し、
またそのために弱り衰えたのである。
自然界における動物にあっては天敵が
あって淘汰は徐々に常に行われているが、
これが行われなくなった場合には一種の
自壊現象が生じる。
野ねずみはその天敵がいないと繁殖が
旺んになり巨大化し、いよいよ多くの
食べ物の必要が生じるのか、時に地ばしり
という集団移動がはじまる。
途中あるものは何でも食べつくし、野を
越え山を越え、しかる後、水に入るとか
谷に落ちるとかして死滅してしまう。
蟻の集団移動のごときはライオンでも
食べられてしまうそうであるが、自壊現象は
何も蟻やねずみに限らず、生物全般に
あることで、人間としてもまぬがれる訳
にはゆかない。
人間の天敵は即ち寄生虫とか諸種の病菌とか
その他の有害物であろうが、それを皆無なら
しめて自然淘汰から遠ざかろうとしているが、
その目的を達成し完全に天敵を一掃し得た
時に地ばしり現象が生ずることがないだろうか。
癌とか、脳溢血とか、白血病とか、自壊現象
に似た病気は既に増加している。
またしばしば人間同士で行う戦争の如きは
これに似た小現象であるが、水爆を抱えた
次の戦争はこれまでと様相を異にする
地ばしり現象にならないとは限らない。
天敵によらぬ自壊現象と見るべき癌、脳溢血
狭心症、白血病等に共通することは異常感が
鈍いことであり、そのどれもが自覚症状が
明瞭でない。
感受性が鈍ければ再適応は困難であるから、
これらが死に至る病気視されているので
あるが、死に至るのは再適応が困難な体の
ためであって、病気そのものの問題ではない。
他の病気であっても、再適応が行われなかっ
たら死ぬだけである。
それ故、死に至るのは病気そのものより
体の鈍りのためであり、体の鈍りがこれ等
の病気の温床となっていると申せよう。
病気にの問題に限らず、自然の淘汰という
ことは体の鈍りと関係がある。
鈍って適応することができずに亡びることは
すべての動物を通じて同じである。
人間だけがまぬがれるものではない。
◎体を丈夫にするにはいかにすべきか
環境改善も天敵一掃も体の実質を丈夫に
するための方法ではなかった。
健康に至るにはどうしたらよいか。
簡単である。
全力を出しきって行動し、ぐっすり眠る
ことである。
自発的に動かねば全力は出しきれない。
人間というものは妙なもので、夜行の
混んだ汽車でも徹夜しても、スキーをする
ためなら疲れない。
お役目で出かけるのだったら乗っただけで
疲れてしまう。
上野の山の石段では疲れるのに穂高の山頂
では快い。
勝手であるが、人間はそういう構造をして
いるのである。
力一ぱい全力で行動すると快いのに、中途
半端な動きで力を余すと、その力が後悔とか
不満とか不安とかに化ける。
体を丈夫にするために食物を言い、住居を
言い、衣服を言う人もあるが、なによりも
まず動くことである。
自分で動くことである。
他人をいろいろ動かして自分が丈夫になる
つもりの人もいるが、自分の糞は自分で
気張らなければ出ない。
誰かに代理に食べてもらっても胃袋がふくれ
るのは自分ではない。
座って他人を動かしても、脚の太くなるのは
その動かされている人で、自分の脚ではない。
このことは原始以来変わらぬことであり、
時代がどう変わっても自分から動かなくては
健康にはなれない。
溌剌と動いた者にのみ深い眠りがある。
体を丈夫にすることはやはり自然の構造に
従って生活するより他に道はない。
以上です。
良かったら参考にしてください。(*^-^*)