私、写真人が小学校に入学した頃、教室の一番前に大きな日本地図が掛かっていた。
一番前の席に座っていたので、毎日のようにその日本地図に目をやるのだが、気になっていた事がある・・・。
「コザ」
当時の日本地図は沖縄県と北方四島だけが色が違っていた。
日本本島には東京、名古屋、大阪等大都市は赤丸で印が打ってあった。
沖縄本島には”コザ”という地名に赤丸・・・。
小学校に入ったばかりの私、写真人が唯一読めることのできた地名(=カタカナ表記)なのである。
”コザってどんなところなんだろう・・・オキナワって日本じゃ~ないんだな・・・”
などと・・・子供の発想は単純なのである。
二年生になった頃、転校生が増えた・・・変わった苗字が多かったのを覚えている。
知念・・・屋良・・・石嶺・・・島袋・・・上敷城・・・皆、地元の県営住宅で暮らしていた。小学校を卒業する前にどこかへ引っ越してしまうのだけど・・・。
私、写真人が小学校二年生の年にオキナワがアメリカから日本に返還され沖縄県に戻った。
珍しい苗字のお友達は皆、沖縄から来たのである・・・もうパスポートは必要なかったのであろう・・・。
新しい日本地図ではオキナワは本土と同じ色で示され沖縄県に戻り、新しい地名・那覇に赤丸が付いていた。
コザという地名は地図から消えていた・・・。その後、コザは沖縄市になった事を小学校を卒業してから知った。
”コザはどこへ行ってしまったのだろう・・・”
そのコザを探すべく沖縄へ・・・40年間くすぶっていたコザへの思い・・・沖縄へGO!!!

コザのイメージが強いのか、未だに沖縄は日本という感じがしない・・・どこか異国な感じ・・・。
歴史上、沖縄は琉球であって日本ではないので当然といえば当然なんだけど・・・。
ただ、同じ民族が暮らしているのでどこか安堵感はある・・・度重なる戦争で随分と迷惑をかけている気がするが・・・戦争が終わってもまだ沖縄(=琉球)には迷惑をかけっぱなしの日本人・・・。
申し訳ない気持ちで一杯の私、写真人・・・。
でっ、小学生時代からの夢・・・コザへの旅である!
”コザはゼッタイ外国に違いないっ!”と思い込んでいたあの頃・・・アホなガキであった私、写真人。
沖縄にくるのは三度目。

ビーチでもない港なのだけど、港の海すら美しい沖縄の海・・・いいなぁ・・・沖縄・・・2月といえども暖かいし。
沖縄を日本というのが勿体ない気がしてくる・・・沖縄は沖縄であって欲しいなぁ~!
街並みは本土よりどこか台湾に近い感じ。

建物の作りや木々の種類が似ているせいかっ!?
台湾・台南市の路地裏もこんな感じだったりするのだけど・・・。

でっ、あこがれ(?)のコザへ・・・。

沖縄市となったコザだが、まだ地名は看板等に残っている。
何か・・・日本って感じがしない・・・ミョ~な感じに陥る私、写真人・・・
夜の街がこれまた日本っぽくなく、オレンジ色のナトリウムの街灯が”アジアンテイスト”をかもし出す。
この写真だけで”これはベトナム・ホーチミンの路地裏です!”と言っても疑う人はいないであろう・・・


さらにこれなんて”バンコクにある日本のカラオケ店です!”と言っても疑う人はいないであろう・・・


あれこれ散策したところで宿の近所のスーパーで今夜の安酒を!

”シチューマチ”と書いてあった魚の刺身・・・聞けばアオダイらしい。
アオダイってめちゃくちゃタンパクそうな感じの魚だが、結構美味かった。
さてっ、明日はコザ市内を散策して海にでも出てみるかなっ!?
・・・そういえば・・・よく通ったベトナム・ホーチミンも以前はサイゴンと呼ばれていたっけ!?
地元の人は未だにサイゴンと呼んでいる。
果たして、コザに住む人々も沖縄市ではなくコザと呼ぶのだろうか???