師匠と弟子というのは面白いものだ。
ある日、師匠が弟子として認めれば、突然その関係性は成立する。
「弟子にして下さい」という言葉一つ。
私はこれがいいなぁと思う。何という直球な言葉なのだろう。
この直球さがいい。回りくどくない。「月が綺麗ですね」的な回りくどさがない。
例外はあるにせよ、それまで師匠と弟子というのは他人もいいところだ。ひょっとしたら、二人が初めて話す会話は
「弟子にして下さい」からかもしれない。
何という入口。
最も弟子になるものは師匠の高座なりを見続けて、一方的に惚れて知っている。片想いもいいところだ。
ほとんどの寄席芸人が「弟子にして下さい」の言葉で、この世界に入る。その片想いを受け入れる。自分もそうしてもらったからだ。
私はといえば、松鯉の弟子になれた事は幸せであった。人生ここだけは間違いがなかった。
私はあまり人を信じないのだけれど、例外的に師匠は師匠で居続けてくれるのがありがたい。ずっと好きでいさしてくれる。これが凄い。
人間だから演じている部分はあると思うが、それも込みで凄いと思う。
ふと、神田松鯉を考える。講談というジャンルを越えて「師匠」というものに最も向いている人間だと思う。性格的、能力的に。勿論、尋常ならざる努力も込みで。
喜怒哀楽が激しいタイプだと思うが、端々で恐ろしいほどの理性でコントロールしている。それこれも全部講談のためなんだろう。そう考えると凄い。そして怖い。
とはいえ、師匠を神のように扱うのは嫌だ。
師匠を師匠として、積極的に演じさせようとする人間は苦手だ。
先代の馬生師匠。高座終わりにビールなんか飲みたくないのに、気をつかった感じで飲ませようとする人達とか。
酒が大好きな金原亭馬生として、演じさせようとする感じというか。そういうのは嫌だ。日によっては、酒がうけつけない日もあるだろうに•••もっとも、こういうのはお客様によくみられる事かもしれないけど。その幻想も込みで、芸人の仕事といえば仕事なんだろうけどさ。
それで、師弟関係における稽古。
これが弟子である最大の意義だと思う。(あえて直接的な稽古をしない師匠もいるが)
私が29歳、師匠は70歳。
正直、師匠があと何年生きるか分からない。こういうことをいうと「縁起でもない」という人がいるが、そこはシビアに逆算して考えて行動するのが大事だと思う。いつまでもお互い生きてないのだから。
私と師匠の人生のクロスタイムの間に、何席教えて頂けるか。
考えたら、師匠はまだ弟子に教えていないネタが沢山ある。積極的に教えていても、弟子が追いつかない。
そういえば、うちの師匠は弟子の稽古を断らない。それを非常に大事な事と考えているからだろう。
必ず午前中に稽古をつける。曰く、午後は俺の時間だからと。時間で役割を分けているのだ。それも凄い。
師匠以外の先生にも稽古をつけて頂く機会がある。この前は、愛山先生に稽古をつけて頂いた。
先生が
「このネタは六代目貞山から、大師匠の二代目山陽に、そして俺(愛山)にきた」
と。
六代目貞山の流れという。その前の流れも当然ある。分かっているだけでだ。
ありとあらゆるネタが、気の遠くなる年月をかけ、講談師のリレーで受けつがれてきた。
当たり前だけど、人間ずっとは生きられない。演者としてもお客としても。
だからこれは演者のリレーと思われがちだけど、お客様同士のリレーでもあると思っている。
時代時代の講談師を育てたのは、紛れもなくその時代時代のお客様だから。一席のネタでも、色々な人の思いを背負っている。
そのリレーの思いは、凄く尊重したい。
ところが無力すぎて、今は何にも出来ない。困ったもんだ。今は覚える時代だけども。色々間に合いそうにないよ。
私は師匠がいる時代より、師匠がいない人生の方が長くなるだろう。
それは年齢差を考えると避けられない。私の50代は、恐らく師匠に見せる事が出来ない。
一番良い時が50代か60代か知らないが、その時師匠はいない。色々無念だ。でも、そういう思いは下にぃ~下にぃ~なんだろうな。
何か暗くなったので、小笑兄さんと夢七君の悪口を書きたいよ。罵詈雑言言いたいわ。
早くグズグズこないかな。
あぁー、あぁー、腹減ったから、あんまん買ってこよう。