師弟の事。 | 神田松之丞ブログ

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毎月のスケジュールと、演目などを更新していきます。

また、自主興行のテーマなども書いていきます。

師匠と弟子というのは面白いものだ。

ある日、師匠が弟子として認めれば、突然その関係性は成立する。

「弟子にして下さい」という言葉一つ。

私はこれがいいなぁと思う。何という直球な言葉なのだろう。

この直球さがいい。回りくどくない。「月が綺麗ですね」的な回りくどさがない。

例外はあるにせよ、それまで師匠と弟子というのは他人もいいところだ。ひょっとしたら、二人が初めて話す会話は
「弟子にして下さい」からかもしれない。

何という入口。

最も弟子になるものは師匠の高座なりを見続けて、一方的に惚れて知っている。片想いもいいところだ。

ほとんどの寄席芸人が「弟子にして下さい」の言葉で、この世界に入る。その片想いを受け入れる。自分もそうしてもらったからだ。

私はといえば、松鯉の弟子になれた事は幸せであった。人生ここだけは間違いがなかった。

私はあまり人を信じないのだけれど、例外的に師匠は師匠で居続けてくれるのがありがたい。ずっと好きでいさしてくれる。これが凄い。

人間だから演じている部分はあると思うが、それも込みで凄いと思う。

ふと、神田松鯉を考える。講談というジャンルを越えて「師匠」というものに最も向いている人間だと思う。性格的、能力的に。勿論、尋常ならざる努力も込みで。

喜怒哀楽が激しいタイプだと思うが、端々で恐ろしいほどの理性でコントロールしている。それこれも全部講談のためなんだろう。そう考えると凄い。そして怖い。

とはいえ、師匠を神のように扱うのは嫌だ。

師匠を師匠として、積極的に演じさせようとする人間は苦手だ。

先代の馬生師匠。高座終わりにビールなんか飲みたくないのに、気をつかった感じで飲ませようとする人達とか。

酒が大好きな金原亭馬生として、演じさせようとする感じというか。そういうのは嫌だ。日によっては、酒がうけつけない日もあるだろうに•••もっとも、こういうのはお客様によくみられる事かもしれないけど。その幻想も込みで、芸人の仕事といえば仕事なんだろうけどさ。

それで、師弟関係における稽古。

これが弟子である最大の意義だと思う。(あえて直接的な稽古をしない師匠もいるが)

私が29歳、師匠は70歳。

正直、師匠があと何年生きるか分からない。こういうことをいうと「縁起でもない」という人がいるが、そこはシビアに逆算して考えて行動するのが大事だと思う。いつまでもお互い生きてないのだから。

私と師匠の人生のクロスタイムの間に、何席教えて頂けるか。

考えたら、師匠はまだ弟子に教えていないネタが沢山ある。積極的に教えていても、弟子が追いつかない。

そういえば、うちの師匠は弟子の稽古を断らない。それを非常に大事な事と考えているからだろう。

必ず午前中に稽古をつける。曰く、午後は俺の時間だからと。時間で役割を分けているのだ。それも凄い。

師匠以外の先生にも稽古をつけて頂く機会がある。この前は、愛山先生に稽古をつけて頂いた。

先生が
「このネタは六代目貞山から、大師匠の二代目山陽に、そして俺(愛山)にきた」
と。

六代目貞山の流れという。その前の流れも当然ある。分かっているだけでだ。

ありとあらゆるネタが、気の遠くなる年月をかけ、講談師のリレーで受けつがれてきた。

当たり前だけど、人間ずっとは生きられない。演者としてもお客としても。

だからこれは演者のリレーと思われがちだけど、お客様同士のリレーでもあると思っている。

時代時代の講談師を育てたのは、紛れもなくその時代時代のお客様だから。一席のネタでも、色々な人の思いを背負っている。

そのリレーの思いは、凄く尊重したい。

ところが無力すぎて、今は何にも出来ない。困ったもんだ。今は覚える時代だけども。色々間に合いそうにないよ。

私は師匠がいる時代より、師匠がいない人生の方が長くなるだろう。

それは年齢差を考えると避けられない。私の50代は、恐らく師匠に見せる事が出来ない。

一番良い時が50代か60代か知らないが、その時師匠はいない。色々無念だ。でも、そういう思いは下にぃ~下にぃ~なんだろうな。

何か暗くなったので、小笑兄さんと夢七君の悪口を書きたいよ。罵詈雑言言いたいわ。

早くグズグズこないかな。

あぁー、あぁー、腹減ったから、あんまん買ってこよう。