講談師は落語家同様、見習い、前座、二つ目、真打というふうに階級がわかれている。
ただ現在、講談の前座が不足している。前回、いかに講談というものが入りにくいジャンルものであるかと書いたが、入門者も当然少ない。そもそも若くして講談を聞いているだけでも異常なのに、さらには入門するとはとんでもないことだ。
落語の前座は多すぎて入門者にストップをかけている所もある。なんたる違い。
現在、日本講談協会の前座は1人だけである。それも来年には二つ目昇進が決まっている。
つまりこのままいくと来年以降、日本講談協会は前座がいない状況で協会を運営するということになる。下働きをしてもらう人間がいなくなるという事だ。
これが私が所属する日本講談協会。ヤバくなくなくないという現状だ。坐して入門者を待っている。ハチ公のようだ。
師弟制度である以上、確かにこっちから弟子になってくれとは言いにくい。
恋愛関係でも「好きです」と言われるのと、「好きになってもらっていいかな」ではニュアンスが違いすぎであろう。結果オーライにはならない。
そもそも「弟子にして下さい」と、こういう入門の形をとってあるのは、前提としてそのジャンルが魅力的なものであるからだ。
それが人気のないジャンルまでいまだにこの制度なので、えらい事になっているのが現状である。ただ、だからといってこの制度は変えられない。
ひたすら入門者が来るのを祈るのみである。本来人間の最後の手段だよ。祈るだけって。
でもここまで書いていうのもなんだが、別にやる気のないのに来られても意味がないので、二つ目の私が下働きでもなんでもしますよと思っている。
それでいつか超大型ルーキーが入ってくるのを期待している。
一度も働いた事がなく、口癖は「あぁ、天国いきてぇ」みたいな、10年以上家に閉じこもってる内弁慶だけど、講談やらしたら馬鹿みたいに才能がある奴って世の中にいると思う。
そういう「客イジリ無舌居士」みたいな輩が入門してくるのを待っていようと思う。
まだ見ぬ天才が来るまでの種火的役割で、二つ目なのに座布団ひっくり返して待ってるよ。