かなの有言実行委員会 -173ページ目





震災から一年(´・ω・`)

もう一年なのか、まだ一年なのか。


テレビでも一年ってことで
番組組まれたり、今後の地震の懸念。


起こったことはきっと
ずっと忘れることは無いし
忘れちゃだめなんだろうね。



かなぴぴは
震災の後におきた震度6強の
震源地真上でした。

うちの市だけが、震度6強。

震災のひずみらしく、後に見た
ニュースに出てたうちの市だけが、
真っ赤になってた。
いつ起きてもおかしくなかった、って。



富士山の麓だから、
津波とか、土砂崩れとかの被害はなく、
ただ断層の真上だけが
クラックが入ったり瓦が落ちたり。



かなぴぴはその時お風呂に入っていて
ふと目に入ったタオルが
不自然に円を描いて回ってる事に気付いて
急いで上がった瞬間に揺れた。
 





後に見に行った風呂場は
天井が落ちてた。
気付かなかったら全裸で
天井キャッチすることになってた。


脱衣場もドア開けるのに必死で
気づかなかったけど自分の後ろで
電気のカバーが落ちて割れてた。



揺れてる中で急いで着替えたけど
立ってられる揺れじゃなかった。


ドアも開かない。


歪むと開かなくなる事に気付いて
蹴破った廊下は惨劇だった。

スノーボードがすっ飛んできて、
家が動き出したってくらい動いてた。

ガクブルって本当。
足がガクガクしてた。

ガラスが割れた家の中。
部屋に入ろうにも家具が動いてて
押して隙間から入る状態。

すべての物が溢れ出てて
窓も開いてた、全部の窓が。
揺れで窓が開くなんて信じられなかった。


何より恐ろしかったのは
そんな揺れの中で92の祖母は
大声で陽気に歌っていた。




余震が続く中で幸いだったのは
震災で停電が一日続いた時の復旧で
うちは停電にはならなかったこと。



ガラスが割れた中で外に出るのに
電気がなかったらきっと怪我してた。



明け方まで父と弟と
食器棚から落ちて割れた食器を片付けた。


仕事場にいけば
割れた器具や、動いた機材を直すのに
午前中の診療は休診。
ちなみに歯科医院。


それでも被害がない患者さんは
何事もなかったように来院して

それが言葉にならなかった。

患者さんに休診を知らせる電話を
かけてる中でも
なぜ?と問われて答えることさえ
苦痛だった。

仕事の後には自宅の片付け。

グチャグチャなのは
ここだけなのかと愕然とした。



その後の計画停電もあり、

しばらくは家族はまとまってた。
寝るのもみんなで雑魚寝。

気持ちが停滞しすぎて
自室を片付けるのに随分かかった。

今も揺れれば思い出すし
心臓がドキドキして揺れに感じたり

地盤沈下でずれたまま
トラックが通れば置いてある物が
ガタガタ揺れる振動があるし

他は揺れないのに
ここだけは地震があればすぐわかる。




忘れることはないと思う。


だけどこの経験も無駄ではないだろうし


こちらの被害なんて
あちらに比べたらって思う。



何より誰も失わずに済んだことに
感謝する。


被災地の記事で
恋人に最後に送ったメールを見て、
心底思った。


死なない!!愛してる!!


だけど元気な姿ではなかった、って。





いつきてもおかしくない。

東海地震。



自然災害を止めることはできないけど

忘れることだけは無いってことを
一年たって痛感。




まとまりのない記事だけど

今、普通に生活できること。
好きな人といられること。
家族も友人も元気なこと。

そんなことを当たり前じゃなく
尊いものだと、
大事にできたらと思うかなぴぴです。