努力=頑張る。気合。根性。負けない。勝利至上主義!
だった。
今は、そうでもない事もわかる。
なぜその頃は、そうだったんだろう。
勝負、貧富、エリートと派遣。
全て比較、全て対局。黒か白か…
「人は、平等である」はず。
ところが
いつのまにか、「比較」というチキンレースに
乗っかって
勝手に剥がせない程の「負け犬」シールを
べったり貼った「これこそ自分」って奴になっていた。
この比較。やたらとクセが悪い。(体験上)
比較の中で、「悪」「敵」や「神」を作って
変なモチベーションにしてきた。
もちろんその中で、
いじめたり、いじめられたり
内心では、違和感も感じながらも
自分が間違ってると、社会から洗脳を受けてきた。
これは、自分だけでなく妻も一緒だった。
もしかしたら、
この感じ方は、今マイノリティーでないのかも。
家族も、仲が良い様で殺伐としたもんだった。
新型コロナが、洗いざらい何か伝えてる…
そんな様に思えてならない。
人は、共に協力し
お互いを尊重し
自身の足らなさを諭し
柔軟性と想像力を豊かにし
全てを許し、受け止める力を持てと…
なんか、宗教チックに思われがちだが
それの何が悪いのだろう?
もし心がざわつくなら、自分が今
何を想像して、これを読んでいるのか聞いてみるといい。
オウム?それとも新興宗教?
社会が認めないものは、
アングラに入る。そして見えないところで…
社会憎悪を膨らます。
そして、爆発する。
マイノリティーは、進化のためにある。
そこに耳を傾けてみる度量は、必要ありだ。
憎悪となる前に。
今のコロナも、いわばウイルスの主張。
様々なものに関心を持ち
受け入れる、共存するという選択が必要。
人は許し、何かを受け入れる時かもしれない。
ボクは、思想家でも宗教家でもない。
入信した事もない。
お客さんであっても、ことごとく断り続けてきた。
今は、ただの安っぽい
トラック運転手(とらっかー)である。
それでいい。今を受け入れることこそ、
なかなかできない努力であった。
これに気づくのに約半世紀かかった。
バカにつける薬はない。
