米九郎の金沢見聞録

米九郎の金沢見聞録

    金沢のまちや催事などを歩けるあたりで紹介します

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 上諸江駅は,北鉄金沢から2つめ,140円の区間です。住宅地のなかにひょこっとあります。

米九郎の金沢見聞録-上諸江01


 もちろん無人駅。

米九郎の金沢見聞録-上諸江02


 でも自動販売機(飲み物)はありますよ。

米九郎の金沢見聞録-上諸江03


 さて,その周辺を散策しますと,といっても住宅街なのですが,少彦名神社(すくなびこなじんじゃ?)がありました。

米九郎の金沢見聞録-少彦名神社


<少彦名神社>
 古えは,この鎮守には白山社(現白山比咩神社)をお祀りしていたが,建武のころ(1330年)この地域一帯に疫病が大流行し住民が次々に死亡して隣村の両堰村などは村民全部が死絶え廃村となるほどの猛威をふるって手がつけられぬ状態となり,村の長老達が話合いに依り,国造りの神・酒造りの神といわれる少彦名の命を薬師の神として勧請してお祀りしたところ,疫病も治まり,平穏となり,それ以来この地の鎮守,土産神として約660年この地に鎮座した。
 相殿であった白山社はさきに死絶えた両堰村跡地へ出村し諸江村出村(現諸江町下丁)元和2年の鎮守として一緒に出たので一社となった。
 社殿の創建はいつ頃かは定かではない。
 朝9時半頃の音楽堂です。右手のほうに伸びているのが,市立柏高校の公演にきた人たちの列です。全日本吹奏楽コンクール,普門館の常連さん。列の最後尾について入ってみました。

米九郎の金沢見聞録-音楽堂


 事前の知識なく聴いた感想は,指揮者の石田修一先生のMCが面白い!普段,千葉でやるときはせいぜい800円くらいのチケット代なのに,今日は1500円もいただいているので,その分頑張ります,とか。
 当然,演奏も良いのですが,パフォーマンスがこれまた面白い。曲にあわせた振りがあったり,踊る人が出てきたり,頭をぐるぐる回し続ける人も出てきたり。あっという間の45分間でした。
 東日本大震災のため,今年度はじめての現メンバーでの公演とのこと。

 そのあと偶然,金沢駅構内を行進する柏高校ご一行に遭遇。これからも素敵な音楽を届けてください。

米九郎の金沢見聞録-市立柏高校
 北陸鉄道浅野川線は,金沢駅から内灘駅をむすぶ6.8㎞の単線です。が,ここのところ経営状況は悪化の一途をたどっています。その状況をどうにかする手段は,何よりも地域の人たちが乗ること以外にありません。
 そうした利用者の掘り起こしのためにの地道な努力,知っていましたか?『浅伝』という瓦版が平成21年11月からこれまでに9号車まで出ていることを。主に沿線住民に配布されているものですが,北鉄のHPでも読むことができますよ。

米九郎の金沢見聞録-浅伝9号車


 6号車からはデザインも垢抜けて,鉄道豆知識なども加わり,結構面白い読み物です。1~5号車の手作り感満載のものも趣があるのですがね。
 車両は京王線のお下がりを使っているようで,ガタゴト揺られてのんびり車窓を楽しむのもオツなものですから,ぜひGWに一度くらい乗ってみてはいかがでしょうか?もてなしドームの地下から出発しますよ。

米九郎の金沢見聞録-浅野川線金沢駅
 始まっていますね,すでに。今年はシューベルト。

米九郎の金沢見聞録-ラ・フォル・ジュルネ


 どんな人かも知らないので,少し予習をば(今更)。
 シューベルトは31歳の若さで腸チフスで亡くなったそうです。決して生前から高い名声を得ていたわけではなく,しかし性格は明るく,多くの友人に支えられた人柄のようです。
 教科書的には,1797年,オーストリア・ウィーンで生まれ,1828年,ウィーンに没した,ロマン派幕開けの作曲家。

 今年は,何とか一公演くらい,聴きたいと思います。ホールをふらっと覗いて,当日券が手に入りそうなプログラムを探してみましょう。

→ ラ・フォル・ジュルネ金沢「熱狂の日」音楽祭2011
<棟岳寺(とうがくじ)>
 宝林山と号し,曹洞宗(禅宗)に属する。
 開山は活通佛性禅師大空玄虎大和尚である。
 明応元年(1492),越前南条郡領主・赤座長秋が父・赤座但馬守景秋と母の供養のため菩提寺として建立する。
 両親の戒名二字をいただき棟岳寺と名付け「孝養の寺」とし,慈父母観世音を祀る。後に赤座備前守吉家が加賀藩二代藩主・前田利長の招きにより加賀藩に移り,慶安2年(1649),三代藩主・前田利常により寺領を拝領し,現在にいたる。
 当寺には日本最初の蘭方医学(オランダ医学)の先駆者・吉田長淑の墓所があり,前田家の御典医・江間家の菩提寺でもある。
 水戸天狗党(武田耕雲斎の率いる約1000名)を弔う水府義勇塚と赤座(永原)甚七郎の墓所は幕末の物語を秘める。
 金沢33ヶ所第4番霊場であり,慈父母観音,子安地蔵尊,延命六地蔵尊を祀る。


 さて,この地蔵はどの地蔵なのでしょうか?分かりませんでした。

$米九郎の金沢見聞録-棟岳寺

<唯念寺(ゆいねんじ)>
 松岡山と号し,真宗大谷派に属する。
 慶長2年(1597),寂善法師によって創建される。
 はじめは小立野にあったが,寛文元年(1661),現在地に移転した。
 「嫁坂・唯念寺」と呼ばれ,本堂には創建当初からの聖徳太子の木像が安置されている。
 本堂および内陣は他宗派の建て方になっており,途中で転派したものと考えられる。現在の本堂は,細部の様式から享保年間(1716~36)のものと推定される。


米九郎の金沢見聞録-唯念寺
<願成寺(かんじょうじ)>
 桂山と号し,真宗大谷派に属する。
 開基である教導(大和国の生まれ)が北国巡回中の明応6年(1497)9月,越中砺波郡刃利村(現・桂村)において創建し,はじめは願成坊と称した。
 天明7年(1787),金沢に移転。
 明治9年(1876),寺号の公称が許され,願成寺となった。


米九郎の金沢見聞録-願成寺

<慶恩寺(きょうおんじ)>
 加須良山と号し,真宗大谷派に属する。
 延徳3年(1491)の創建と伝えられる。
 僧・慶心は,天文15年(1546)金沢御堂建立にともない,本願寺の命を受けて御堂衆をつとめた。その後,越中から飛騨にかけて布教にあたり,90歳で飛騨・白川村加須良に示寂した。
 当寺は,木ノ新保から犀川河原町(現・片町)を経て,万治元年(1658)当地に移っている。


米九郎の金沢見聞録-慶恩寺

<真行寺(しんぎょうじ)>
 はじめ安禅山,後に法隆山と号し,曹洞宗に属する。
 寛永8年(1631),本多家の家老・篠井雅楽助は,加賀藩三代藩主・前田利常より金沢百人町(現・幸町)に屋敷を拝領したが,篠井雅楽助は州岩の篤信道念に感じ入り,浄財を投じて一宇を建立した。
 州岩とは,豊臣方の部将・木村重成縁故の役僧であるが,州岩は,大乗寺十五世謙室呑益和尚を講じて開山とし,法隆山真行寺と称した。
 万治2年(1659),御用地を召し上げられ,現在地に替地を請けた。
 寺宝に,矢田四如軒筆の絵画二幅を所蔵する。


$米九郎の金沢見聞録-真行寺


 この真行寺には,真行寺六美苑(むつみえん)保育所が併設されています。もともとお寺って,地域コミュニティの拠りどころとして,色々な機能を担っていたんでしょうね。

<圓證寺(えんしょうじ)>
 戸室山と号し,真宗大谷派に属する。
 永正元年(1504),藤原重之が出家し,貞珊と名乗って一宇を建立し,圓證寺と称した。
 藤原重之は戦いに負け,河北郡戸室新保村に隠れ住んでいたが,山号はその地名に由来するものである。
 慶安3年(1650)9月,火災により,現在地に移転する。
 貞享4年(1687)2月,木仏(阿弥陀如来)の許状が本山からおり,寺の創建となった。


米九郎の金沢見聞録-圓證寺
 金沢の三寺院群の一つ,小立野寺院群(残る二つは当然,卯辰山寺院群と寺町寺院群ですね)といっても,平地にそこまで固まっている訳ではなく,小立野台から笠舞に下りる途中にちらほらと寺があるので,結構廻るのも根気がいるのですが,とりあえず,波着寺,唯念寺,圓證寺,願成寺,真行寺,棟岳寺についてです。

<波着寺(はちゃくじ)>
 泰澄山・白山または白流山と号し,真言宗に属する。
 開山は,神亀(724~29)の頃で,泰澄大師が越前(福井県)足羽郡一乗谷に創建したと伝えられるが,後年,兵火にあい,廃寺となった。
 天正(1573~92)中期,安養坊空照法印が越前足南郡波着寺にいた頃には,府中在城であった(後の加賀藩初代藩主)前田利家の祈祷所であった。このため利家の金沢城入城に際し,秘仏十一面観世音菩薩をはじめ,白山妙理権現,その他諸仏像とともに,金沢に招かれ,今の兼六園の地に寺地を得たが,元和5年(1619),現在地に移転を命ぜられた。
 また,この寺には「お預け八幡」と称する八幡神社があり,寺内神殿を造って神体を祀ってあった。この八幡宮は,利家の時に金沢城本丸に安置してあったものだが,二代藩主・利長の時の落雷によって炎上し,当寺に移された。
 明治2年(1869),神仏分離令によって卯辰八幡宮へ合祀された。


米九郎の金沢見聞録-波着寺


 ちなみに,この波着寺付近には,加賀藩の銃薬製合所があったといわれています。もともと城内にあったものが火災を起こして,「慶安四年(一六五一)小立野石引波着寺の彼方に鉄砲の合薬所が出来,水車を以て薬を製す」(菅家見聞集)ものの,ここでもまた火災を起こして,土清水にさらに移転されたとも聞いたことがあります。
 さて,その境内で目に付くのは,まず古い灯籠。

米九郎の金沢見聞録-猿丸灯籠


 「天保十四年四月吉日」とありますから,1843年,今から160年くらい前のものですか。
 しかしそんな灯籠よりも,明らかに古そうなのがこちらの巨木,実際目の当たりにするとデカイんです。

米九郎の金沢見聞録-猿丸アオダモ


 多分,保存樹林看板から察するに,アオダモだと思うのですが 。。 見上げても立派なものです。

米九郎の金沢見聞録-猿丸アオダモ見上げ


<猿丸神社>
 金沢で最古の神社の一つであり,参道には天保十四年(一八四三)に造られたと伝えられる石灯篭一対がある。
 拝殿は,文久二年(一八六二)六月に再建されたもので,本殿は明治十八年(一八八五)十月に再建されたものである。
 この神社の創祀の由来は,三十六歌仙の一人で,小倉百人一首にある「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声聴く時ぞ秋は悲しき」の作者として知られる猿丸太夫の旧跡だと伝えられる。このような言い伝えから神社の名が付いた。
 本殿には十一面観音も安置され,毎年八月に観音講が行われる。また,大小四対の石造の猿像も安置されている。
 祭神が歌人であることから,金沢の文人たちによって奉納献句した扁額が,現在数点残っている。

<猿丸神社保存樹林>
 樹冠面積五百五十平方㍍,緑被率三十五㌫のケヤキ,タブノキを中心とした樹林。樹高二十五㍍,幹周五・八㍍に達するケヤキを含め大木十本の集団は他に例を見ない。ケヤキ,タブノキ,イチョウなどの高木二十二本,ツバキ,モミジなどの低木四十一本で構成される。
 参道左のヤマモアオダモは保存樹としても貴重である。
 金沢市笠舞にある猿丸神社。その名のとおり,百人一首に出てくる猿丸太夫縁起の神社です。
 詳しくは,石川県神社丁のこちらのページをどうぞ。

 さて,その遠景から,,,ファミレスの看板で風情が,,,

米九郎の金沢見聞録-猿丸遠景


 まあ,正面に立てばこんな↓感じです。

米九郎の金沢見聞録-猿丸全景


 さらに境内に入ると,どうやら近くお祭でもあるようです。これはこれで,なぜか神社に似合っていると感じてしまうのは,幼い頃の夏祭りの風景なんかが懐かしく残っているからでしょう。

米九郎の金沢見聞録-猿丸境内


<つづく>
 小立野緑地にある看板によると,ムクドリは「リャーリャー」って,

 カワラヒワは「チリリコロロ,チョンチョンジューイ」って鳴くそうです。

 可愛いねえ。

米九郎の金沢見聞録-ことり