人は自分が責められた時、どうしても言い返してしまう人間だ。
自分がこれだけ努力してるのに・・・これだけやってるのに・・・と思えば思うほど強く。
でもそれは時に論理的でなく、感情に任せて自分のことを最優先してしまった結果な時もある。
プロセス見ても、結果見てもそれが論理とズレてしまっている時は、ロジカルエラーが起きてなお人を攻撃するとき、もう誰もついてきてはくれない。
僕がそういうことを色んな人にしてしまったからだ。
間違っていることを指摘されても、別の角度から攻撃してなお人をぞんざいに扱い、その人を傷つけてしまうこともある。
それからというもの、やたら論理的なことばかり気を使うようになった。
言えばつまらない大人になったってことなのかもしれない。
僕は論理的に考えてもおかしいことしてるよ?僕は悲しいよ、もっとこうしてほしいよ?と言っても
「言い方が悪い、言ってることは分かるんだけど。」
と、なる。
言い方は悪い、そりゃ感情に任せて言ってる部分もあるのだから。
でも言わせるほうからしたら「言わせるまで放置してるのどうなんですか」ってこと。
論理的にズレズレな行動して人に指摘されてなおその行動をヘラヘラ開き直って取っているのなら、感情的にもなるのは当たり前だ。
そうやって僕も責められた。
そりゃ当然っす。
だから自分も論理的にズレたことをした時は責められるのは覚悟してるし、もしズレていたら素直に謝る。
そしてその人に出来る限り返せることをする(その人が論理的に正しいと考えたことが出来るように)。
それが当たり前なんじゃないのかな。
僕はどうしたらいいんだろう。
このままの人生で良いわけが無いのは確かで、言い方変えたから世界が変わるなんて思えない。
求める水準が高いのかもしれない、もっと人に期待せずに低い水準を満たしてくれたことに対して感謝を述べるくらいじゃないといけないのかもしれない。
それとももっとコーチング的に「じゃあどう思う?」と上手く誘導しなければならないのか。
ここまでそのような人たちに尽くす時間と労力が惜しいと思わないのか。
色んなアプローチあるけど、基本的には「何もしない」のが一番だと思ってきた。
ただどうしても自分に関わることだったり、どうにかしなきゃいけない時は「相手の立場になってもらうこと」と「コーチング」しかないのかなと思った。
求める水準を下げるのは前提条件みたいなものだ。
もう世の中しょうがないことで溢れてるのだから、そこまで多くを求め過ぎてはいけない。
自分だけでも達成しておけば、自分だけでも論理的に正しいことをしていれば少なくとも批判は受けない。
それを学習してくれるはずだ。
そうなることを祈るしかないのだと思った。
