たおりんぐいね -14ページ目

たおりんぐいね

ごく稀に
たまたま発見したものにハマる
しかも軽く沼る

もしや意図的だったのか? ドラマのパンフレット化。俳優さん達のいろんな演技を紹介します、ワンクールかけて。んなアホな企画につき合ってられん(今後の回もたぶん後からこっそり目を薄く開けて頑張って観ますけども)。そもそもこんなに演じてる役者さんの心情を察してドラマ観たのは初めてだけど(つまりキャラには感情移入ムリ)、大変な職業だなと改めて思った。こんなの撮る側の意図でどんなにでもイメージを操作できる。SNSで垂れ流してるメイキングでも一挙手一投足指示してる。顔が出てるのは演者達だけだから、観てる方はその映像から受けるイメージの全てをその人に被せてしまう。当たり前といえば当たり前だけど、俳優の命は制作者に握られてるって今回ので痛感したかも。それでも何かの瞬間に必ずその役者さん本人の、誰にも奪えない魅力は滲み出るものだと思う。

 

 

なんかこっから今更『チェリまほ』の奇跡をまとまりない思考で書き始めるって一体何がしたいんだ状態。癒されたいんだわ、明らかに。来週の予告観て更にケガしたっていうか、トドメ刺されたっていうか。闇落ちのイミが違うだろ、ちゃんとした話はダークサイドこそ重要なんだよ。こんなカスカスの脚本に闇も光もあるかよ。これで事務所が納得してんのか知りたい、切実に。

 

 

『チェリまほ』だってそうだ(もちろん真逆の意味で)。風間監督がどんなに綿密にそれぞれの役者さんと話し合って指先に至るまで繊細な演技をリクエストしてたか、過去のインタビュー記事から知ることができる。それに応えられる役者さんもいれば完全には返せない役者さんもいると思う(赤楚くんは自分は不器用だって言いながら軽やかに反応してくれたって)。逆に監督の思いを超える演技が生まれることもあると思う。でも最終的に到達したいイメージは風間監督の中に明確にあったってことがわかる。風間さんは自分が監督しない回のロケにもできる限り足を運んで、撮影前に役者さん達と念入りにその役の裏設定(どんな背景を持ったキャラなのか)から話し合ったらしい。画面に映らないところから既に準備は始まってたんだと、だからこそそれぞれのキャラが説得力を持って画面の中に生きてたんだと思う。

 

脚本ってのには監督は一切かかわらないのかな? それこそ作品によって違うんだろうけど。分業してるとはいえ何もないところから作品をつくりあげるって凄いパワーだと思う、観るのは一瞬だけど(ってか『チェリまほ』は既に沢山の人に愛読された原作あってのドラマだけど、原作者さんもまさかこの話を映像化するとは夢にも思ってなかったらしい。漫画の実写って失敗多いし、きっと熱心なファンほど不安だった筈。だって二次元を三次元にってそもそもテンポ違い過ぎて、原作のままのクオリティを維持すんのはまず不可能だろといつも思う。アニメにするんだって難しいのに実写はそれに輪をかけて無茶だ。斉木楠雄くらいだわ、ギャグ漫画なのにスピード全く落ちないアニメ化実現してんの。実写は案の定… あれも出演俳優かわいそう、と思ったけどオリジナルすぱっちよりは百倍マシか)。

 

ともかく監督の中にはこの作品で表現したいことが明確にあった。でもそれを最終的にどれだけ理想に近づけられるかは運的な要素もかなりあると思う。もしも赤楚くんが抜擢されてなかったら? もしも黒沢が町田さんじゃなかったら?(って考えると改めて本間PDの人選眼の確かさはミラクル)それでも監督は自分の目指す映像をとことん追い求めて作品を完成させた筈だ。だからどちらにしてもクオリティの高い作品には仕上がったと思う。それでも『チェリまほ』の大成功は安達が赤楚くんで、黒沢が町田さんだったという偶然(今となっては必然)も絶対外せないと思う。風間監督であることは大前提として。

 

あの物語の全てのイメージが監督の中でしっかり描かれてたからこそ、あの映像世界が実現した。それだけは間違いないと思う。そしてそこに更なるケミストリーが加わった。それが赤楚くんで、町田さんだった。滅多に重ならないはずの偶然が重なって、爆発が起きた。それが『チェリまほ』なんだろう。

 

赤楚くんが好きな言葉『人事を尽くして天命を待つ』。本当に、いつ起きるかわからない奇跡の重なりは自分では選べない。でもずっと全力で頑張ってれば、いつか出会う時が来る。重なる奇跡のうちのひとつになれる。赤楚くんが次に出会うミラクルを世界中の人が待ち望んでるよ!

 

 

昨日改めて読んだ記事はコレ。