昨日、自己肯定感について適当に思ったことを書いたのですが、あれからさらに考えて思いついたことを書きます。
エネルギーの観点で言うと自分で自分を肯定することで生まれるエネルギーは自分一人のエネルギーだからそれはとても小さいわけです。
そういう理由から自己肯定感が低いことに悩んでいる人は無意識に他者からのエネルギーを強く求めます。(特に親から)
そして褒められるために必死に頑張ったりします。
しかし人と言うのは他人にそれほど関心がないので仮に褒めたとしてもほぼお世辞でありそのエネルギーはとても小さいです。
大きなエネルギーで褒めてくれるのは真に愛情深い親とかスポーツクラブの熱血監督くらいですね。
無関心な親や他人が与えてくれる小さなエネルギーの為に自己肯定感の低い人が費やす努力のエネルギーは膨大です。
なので結果的に疲れ果てて無気力になってしまう。
エネルギーの観点で見ると
努力は”エネルギーの自己投資”です。
他者から褒めて貰うのは”他者からわずかなエネルギーを貰う”ことです。
だから最初からこのエネルギー取引はハイリスクローリターンなワケです。
人気スポーツ選手や歌手になって何万人もの人から応援されるようになれれば莫大なエネルギーが集まりますが、そこまで行けるのはほんの一握りの人達だけです。
ほとんどの人は努力で成功してエネルギーを得るという方法で損をしてしまいます。
では正しいエネルギー取引とは?
それは…
”努力ではなくエネルギーを与えてエネルギーを貰う”です。
簡単な例で言うと
”親切にして感謝される”です。
親切以外にもエネルギーを与えられるものがあります。
それは美しさです。
清潔であること、イイ匂い、美しい身なり、美しい音楽、美しい景色、美しい空気、美しい映像、美しいストーリー等です。
”良いエネルギー=美”と言っても良いのかもしれません。
”親切=美しい心”なので親切を直接受けた人だけでなく目撃した人もエネルギーを発しますね。
逆に汚い心=卑しい目的で親切にしても気持ち悪がられてエネルギーは貰えませんね。
つまりエネルギッシュに生きるためには何が良いエネルギーを持っているかを見極める力=審美眼が必要なワケです。
臭くて不潔な恰好で怖い顔してイライラしながら騒音を出していたら他人を疲れさせます。
疲れさせるということはエネルギーを奪うということです。
まずは他人からエネルギーを奪わないゼロ地点を目指す。
さらにそこから他人にエネルギーを与えるプラスの方向へ進む。
他人にエネルギーを与えると”後から”エネルギーが還ってきます。
すぐに見返りを要求するのは卑しいエネルギーを奪う行為です。
エネルギーという観点で見ると心もエネルギーだし芸術作品もエネルギーだしお笑いもエネルギーです。
ゴッホやピカソがただの絵であるなら誰もそこに大金は出さないはずです。
そこに人を元気にするエネルギーを感じるから大勢が美術館に足を運ぶ。(私は美術館の密閉された空気に疲れるのであまり行きませんが…)
見えない自分の周りのエネルギーをコントロールすることで自己肯定がどうでも良くなるくらいの生きる気力が湧いて来ると思います。
初期仏教では良いエネルギーも悪いエネルギーもまとめてカルマと表現していたりします。
悪いエネルギーだけをカルマと表現するのは間違いだそうです。
良いカルマや悪いカルマが集まって自分の心を形作っているみたいなことが初期仏教=テーラーワーダー仏教の本に書いてあります。
下の本に書いてあったかどうかは定かではないですがまた一冊ご紹介いたします。