以前テレフォン人生相談で浮気をしてしまった女性が夫から浮気について責められて(モラハラを受けて)悩んでいるという相談がありました。

その相談に対して心理学者の加藤諦三先生が「モラハラだと思うことがモラハラなんです。逆さまなんです。」と言うアドバイスをしました。

私は相談者の女性がモラハラを受けている側ではなくモラハラをしている側だということが理解できませんでした。

1年間くらいときどきそのことについて思い出して考えていたのですが今日ふと答えが見えた気がしたのでそのことを書こうと思います。

 

私の見つけた答えはとてもシンプルでした。

そもそもモラルハラスメントとは”悪いことをした人を責めること”ではないわけです。

もしそれが当てはまるなら犯罪者を裁判にかけることも罰することもモラハラになってしまいます。

では何がモラハラかと言うと

  ・全く悪くない人を屁理屈で責める行為

  ・ほんの少しの悪事を屁理屈で必要以上に責める行為

 

この定義がハッキリすると上記の相談者がモラハラの被害者ではなく加害者であることが理解できます。

相談者の夫が浮気の事を責める行為は普通の行為に当たるワケです。

それをモラハラ認定して反対に責める行為は確かにモラハラだなぁとスッキリしました。

そういう風に悪い事を悪いと指摘されることを不満に思ってモラハラ認定するズルい人が最近多いようにも思いました。

悪い事は悪いと言うのは大事なことですよね。

ではその”悪い”は誰が判断するのかと反論する人がいるのですが、その答えは”全ての人”だと思います。

一人ひとりが善悪判断を止めてしまったら泥棒も殺人もし放題され放題の世の中です。

初期仏教の本に「悪は不幸を生み出す行為」「善は幸福を生み出す行為」という基準が書いてあります。

幸不幸のどちらが生み出されるか、その結果がすぐに出る行為もあれば遠い未来に影響を及ぼす行為もあります。

結果のすぐ出る行為の善悪判断は容易であり、逆に結果が出るまでに時間がかかる行為ほど善悪判断は難しくなります。

未来を的確に予測しなければならないので賢くなければできません。

よく「人間ごときが善悪を判断するなんて無理だからやめろ」みたいなことをのたまう人がいますがそれは悪魔のささやきで、この世の中に善悪判断ほど大切なことはなく、真の賢さとは難しい善悪判断を的確にできる事であると私は思います。

ステマが善か悪か、暴力的な環境保護運動が善か悪か、暴力的な平和運動が善か悪か、賢い人は未来への影響が幸か不幸か判断できる。

それこそが人間の最高の知恵だと思います。