この作品がブレイクする過程に恐怖を感じたんじゃないだろうか。
例えば第二次世界大戦に至るまでのマスコミによる世論操作のような恐怖。
マーケティングがあまりにも上手くいきすぎて「逆らえない空気」ができてしまったことで、その空気が平和な良い空気であるにも関わらず「空気が作られた」こと自体に恐怖を感じ拒絶反応を示してしまった。
そのアレルギー反応が作者や広告代理店への過剰な攻撃に転化されたのではないだろうか…
作者も広告代理店も人々を楽しませ幸せにしてお金を儲けるという真っ当な仕事をしただけで何も悪事は働いていない。
にもかかわらず攻撃する人達のエネルギーが凄い。
おそらく叩いている多くが自分たちが何故こんなにフラストレーションを感じたのか自分でも理解できていない。
同じような感動ビジネスをやっている「青汁のCM」がまったくフラストレーションを感じないのは「世論が操作された感」がないからではないだろうか。
「ゆっくり死を噛みしめたかった」とか「数日書籍化や映画化の公表を遅らせれば良かった」とか「追悼ショップというネーミングが悪い」とかそういう些末なところに本質はなく、日本人のDNAに「世論操作への恐怖」が刷り込まれていることに根本原因があるのではないか。
人々はその恐怖を払拭したくて無理にヒットの背後にある何かを暴こうと色々調べ、作者の方もそうされることに得体の知れない恐怖を感じて嘘と受け取られてしまうような曖昧な釈明をしてしまったのかもしれない。
あとは作者や広告代理店を攻撃することでコロナによる不安や恐怖もついでに払拭されるような錯覚をおこしている人もいるのではないだろうか?
人間は不安が高まると疑心暗鬼になって先制攻撃を始める。
そういう不安と攻撃性の強い者が生き残って今の社会を作っている。
さんざんマーケティングが下手とか言われてるけど実はその逆でマーケティングが上手すぎて怖がらせてしまったというのが本質のような気がします。
だから関係者の人達がヒットの種明かしをざっとするだけで人々の不安は払拭されてグッズも普通に売れたんじゃないかなぁ・・・