引き寄せの法則ってありますよね。

 私はその法則について読んだことがないので以下に書いてあることは、私の身近に”沢山”いる引き寄せ信者から聞いた話を元にしていますので本当の引き寄せの法則とは違うかもしれません。その点をご承知おきください。

 私は「引き寄せ」というワードが知人の口から出たら極力その人とは関わらないようにする人間でして。

 引き寄せと聞いていつも思うのが、例えば50歳のオッサンがオリンピック新体操のメンバーに選ばれて金メダルを取れますようにって”正しい方法で”引き寄せたとしたら出来るのかってことなんですよね。

 その引き寄せを10000人のオッサンが同時に”正しく”行ったら10000個の金メダルが発生するのかってことなんですよ。

 それを言うと引き寄せ信者の人は「極端なことは出来ない」とか言うわけです。

 つまり極端に難しいことはできないが簡単なこと…つまりコンビニでコーヒーを”引き寄せる”ことはできる。

 それを引き寄せと言ってしまいますか?そこにも私はカチンと来るわけです。 

 コーヒー農園で過酷な労働をしている人がいて、海外に買い付けに行く商社の人達がいて、日本経済の信頼によって円が紙屑じゃなく価値があって、そのおかげで安くコーヒー豆を輸入できて、コンビニオーナーが借金を背負って抽出マシーンを購入して、それで100円で消費者が購入できるシステムがある。だから美味しいコーヒーが飲めたわけです。

 それを引き寄せの法則とか言ってしまう…感謝の心が無いし短絡的で怖いです。

 そもそも引き寄せたい彼らのモチベーションって欲だと思うんです。

 欲って基本は種や生命維持のためのプログラムですがそれが暴走すると必ずトラブルや悲劇が起こる。

 だから引き寄せ信者=不幸に見えてしまう私ですが、個人的に”引き寄せの法則”とは別の考え方で”真の引き寄せ(笑)”を実践しておりまして…それをずっと秘密にしていたのですが、このブログを見ている人は6人ぽっちなのでこっそりお教えします。

 

 ええと…説明すると長くります。

 まず、恐れていることが現実になるってことって良くありますよね?

 例えば彼女や奥さんに浮気されることを極端に恐れている人が何度も浮気される。

 離婚して再婚してもまた浮気されるみたいなこと。

 DVを受ける女性とかも交際相手を変えても変えてもDV被害にあってしまう。

 その原因は個人の資質という見方もあるのですが、もしかして不幸を引き寄せてるんじゃない?と思うこともあるわけです。

 仮に不幸を引き寄せていると仮定して…

 では何故悪いことは簡単に引き寄せられるのに良いことは引き寄せられないのかという疑問にぶつかります。

 これ多分”引き寄せの法則”だと思いの強さとか継続性とかが原因とか言ってるのではないでしょうか…

 だとしたら心を病んでいて思い込みが病的に強い人なら引き寄せまくりじゃないですか。

 でもそんな人いない…だとしたら何故不幸だけが引き寄せられるのか?

 …で

 私の導き出した答えは映画『マトリックス』の中にあります。

 映画同様に人間を神と悪魔に管理された電池として考えるワケです。

 マトリックス内の出来事は”感情の発生による発電の期待値に引き寄せられて起こる”ということです。

 浮気を恐れている男性は浮気されたときに滅茶苦茶発電してしまうのです。

 でも浮気されなかったときにはそれほど喜ばない。

 なのでどんなに嫁が浮気をしない未来を強く願っても引き寄せられない。

 引き寄せの法則を正しく実践しても発電期待値が少なければ現実化しない。

 発電期待値の大きくなる未来へ人生は自動的に進んでいくわけです。

 

 この発電期待値は本人だけでなく、その影響を受ける他者の発電期待値も合算されます。 

 さっきの金メダルの話に戻ると、マトリックス内で10000人のオッサンが新体操のチームに選ばれて全員金メダルを取ってしまったらオリンピック自体が白けてしまうという現象が起こります。

 白け=無発電ということです。

 オリンピックに期待して応援してきた何億人という人間が白けてしまったら大停電です。

 どんなに10000人のオッサンが金メダル獲得を喜んで発電してもマイナスです。

 つまり世界の発電効率を考えて人生にさまざまなことが引き寄せられると考えたら”法則”として成立するのではないでしょうか?

 だから私が実験しているのは悪いことには極力”白ける”そして良い事には極力”喜ぶ”ということです。

 そして不幸になりがちな人生の人の周りには、その人が間違って良い方向へ向かうと水を差して白けさせる人があらわれます。

 不幸でバリバリ発電してくれる人が幸せに目覚めると電池としてのトータル性能が落ちるからです。

 小さい頃から親から幸せに対して「こんなに幸せで良いのかしら?」と白けることをインプットされて育った人は良いことが起こっても発電量が小さい。

 逆に不幸に対しては執念深く継続的に発電し続ける=超優秀な不幸電池です。

 だから多くの人(不幸電池)は良いものを引き寄せられない。

 ではいかにして不幸電池から幸福電池に変化するか。

 一円を拾って無反応な人間が一円に本気で喜べる人になれるか?

 容易なことではないですね。

 表面的に喜んでもそれって白けているのと同じで無発電ですから。

 そこが一番工夫が必要なところです。

 それについても私はある仮説を立てて実践しているのですがその話はまたいずれ。

 今は今年の春に出版される漫画が映画化されないかなぁと発電期待値を上げているところです。

 人気の無い私の漫画が本当に映画化されたら法則の立証と考えても良いかと思います。