です。といっても私(かかさん)が。


娘は2歳、息子は1歳となり、よく喋りよく歌い、そしてよくおもちゃを取り合い…と思ったら2人でケラケラ笑っている、ととさんは白髪こそ増えたけど変わらず私の笑いのツボを的確についてくる…そんな毎日です。

なお、体のサイズは2人とも大きめ。ととさん、私とも160センチのチビなので、不思議。


ただ、毎日ドタバタ楽しくも忙しく過ごしていた中で、地味ーに疲れが溜まっていたらしく。2月下旬、子供たちとの入浴中にうっすら心臓?胃??の痛みを覚え、それが数時間後には脂汗ダラダラものの痛みとなって、横になって左を向いたまま動くこともできなくなってしまいました。

幸い?救急車を呼び慣れている夫の判断により救急車が来てくれたのが夜10時前くらいかな。その後20分くらい??30分以上あったかな??ののちには、病院に運び込まれました。

車内で盛大に吐き、実を言うと病院に着く頃には痛みはだいぶ落ち着いていたものの、即CT検査。


…胆嚢に石、できてました…

吐いて落ち着いたのではなく、石が動いてくれたから落ち着いただけだった…


言われてみればここ数ヶ月、夕方から心臓が痛い…と思いつつ、まぁ疲れてるのかなー…と思ってた…


4月上旬には胃カメラとMRI、レントゲンなどの検査で胆石性の胆嚢炎と正式診断を頂戴し、「今の主流は胆嚢ごと切ること」という医師のアドバイスにどうしても納得できなくて(石は小さめだそうなので)知り合いの医師にも意見を求めたりしたところ、一度でも動いた石(それが小さければ小さいほど)はいつ総胆管に落ちてしまうか分からない事、石が胆管に落ちると、前回の発作以上の痛みとなって、そうなったら緊急手術の可能性もある事、仮に落ちた石が大人しくしていたとしてもこれがガン化するリスクもある…と言う事で納得し、なおかつ家庭の事情としてまだ完全に記憶が定着しない今だったら1週間くらい私不在でもなんとかなるだろう事や、今秋引っ越しがあること、娘のプレ幼稚園が始まること…を総合的に考慮して、この火曜日に腹腔鏡下胆嚢摘出術にて胆嚢と石と別れてきました。

3年連続の手術。もう、限度額認定の手続きも遺領保険の手続きも、入院グッズの準備も慣れたッ!!


長男出産に際して、白線ヘルニアを起こしてしまい未だに6ヶ月妊婦の腹となってしまっているため、癒着が懸念される事、その場合緊急で開腹となるリスクを孕んでの手術だったのですがコロナの影響で家族の立ち会いNG…という不安はあったものの、幸い癒着はなく腹腔鏡にて胆嚢は石ごと体の外に出され、そのお役を全うしました。アデュー。


ただ、初の全身麻酔はきつかった。覚醒後しばらく続いた身体の震え、暑いと寒いが交互に来るから眠れない、呼吸用チューブが鼻を傷つけた?のか鼻が痛い、痰が止まらない、尿道カテーテル邪魔、フットポンプ邪魔…硬膜外麻酔のフラッシュをぱちぱちしながら、羊を数え続けた一晩でした。

あと、帝王切開時に履く産褥ショーツでしっかり止めてもらうと、尿道カテーテルは楽なんだな、と学びました。

まぁ、次にその事実感するのは数十年後(の予定)だけど。


とはいえ腹腔鏡。翌日からの回復は帝王切開を知っている身からは驚異的でした。まず、食事が全然違う(いきなりタンパク質OK)!

ただ、術後数日は食べるとすぐにお腹が膨れてしまう感じがあったので、ちょっと食べるのが怖かったかな。あと、胆嚢取ると下痢をしやすくなる…と聞いていたのですが、それも今のところ(術後4日)なし。

試しにコーヒー飲んでみたけれど大丈夫だったので、とりあえず私のQOLは保たれた模様です!

揚げ物は様子を見ながらね。


主治医の先生は、回診のたびに本当にいろいろなことを丁寧におもしろく教えてくださるので、なんだか学生に戻った気分です。

曰く、女性の胆石リスクとしてホルモンの変化にさらされる最たるものである「頻回妊娠」があること(←あ、私。だから年子は危ないよー、と言うのか…)、食事と食事の間を空けてしまうこともよくないこと(お昼、公園で駆け回っているうちに自分の分は忘れること多々…)、など、ここ数ヶ月の私のライフスタイルを考えるとなるべくしてなったな、と納得。

救急隊員に呆れられるくらい、トイレも行けてなかったし(娘も息子もなぜかトイレが好きで、ついてくる)。

…子育て中のお母さんー!気をつけてー!!その痛いの、心臓じゃないかもー!!


実は現在入院しているのは、義母が一番最初に入り、膵臓癌の告知を受けた病院。

フロアこそ違うけれど、同じ形の談話室やカンファレンスルームを見ると、あの時義母は何を思っていたのか、何を考えて転院を決めたのか…と考えてしまったり。

何より、あの時転院を急ぐのではなくて緩和ケアなどの「不安を取り除く」専門の方の力を借りて、少しでも気分を上げてあげる事はできなかったのか…でも、自分は戦う!と言っていたし、息子たち(夫、義弟)もその方針に従うと言って転院先を探してきたのだし、義父はもう引きこもってしまっていたし…とぐるぐる考えてしまうけれど…でも下の売店で売っている毛つきケア帽子をちょっとしたおみやげとしてプレゼントして、今しかできないスペシャルおめかしですよー、というような気の利いた一言が言ってあげられなかったのか…と考えてしまったり。

アロマテラピーと抗がん剤治療に関するコラムを見つけて読んでみたり。あの時でも知り得た情報、役立つ知識は山ほどあった。

産後すぐで、娘も入院中だったあの頃、自分も余裕なかったとはいえ、できた事は絶対にあったな。


血液検査の結果次第で、明日の午前にはお勤め御免となるのですが、色々思い出す1週間となりました。

答えは、夢にでも出てきて教えてもらいたいね。

あ、私は超元気です。