「すべて自己責任」で、疲れていませんか。
相談に来られる方の多くは、最初、「相手が悪い」という前提でお話を始められます。
そしてもう一方に、スピリチュアルをしばらく学ばれた方がいます。
この方々は、「すべては自己責任」「相手は自分のシャドーの投影」と、ご自分を鏡の法則で律しようとされる。
一見、両極に見えます。
でも、長くこの仕事をしてきて思うのは、このふたつは、実はまったく同じ罠に落ちている、ということなんです。
順番を飛ばしている、という罠に。
■ シャドーの話を、急いで持ち出さない
誤解しないでほしいのですが、ユング心理学のシャドーという概念も、一切唯心造も、東洋の鏡の教えも、どれも本物の叡智です。
「自分の反応の中に、自分の未統合な何かが映っている」――これは、私自身が何度も自分の内側で確かめてきたことです。
ただ、このフレームは、タイミングを間違えると毒になる。
まだ怒りも悲しみも出しきれていない人に、「それはあなたの影ですよ」と早々に差し出すと、本来通るべき感情のプロセスごと飛ばしてしまう。
スピリチュアルの言葉で超越しているように見えて、実は一番深いところを迂回しているだけ。
しかも、本当に加害が起きている場面――DV、ハラスメント、搾取――で「それもあなたのシャドー」と言ってしまうと、傷ついた人をもう一度沈めることになる。
だから私は、シャドーの話を、急いで持ち出さないようにしています。
■ 順番があるんです
何が起きているのか。
まず、自分がどんな状況にいて、実際に何が起きているのかを、事実として確認する。
解釈や感情が入り混じる前に、起きていることをそのまま見る。
ここを飛ばして内側に潜っても、見えるのは自分の混乱だけです。
そのうえで、ようやく自分の内側に向きあう。
このとき、湧いた感情をよく観ます。
もともとこの感情は、自分の中になかったものなのか。
相手の中に嫌だと感じる側面は、自分の中にもあるのか、ないのか。
ここで急いで結論を出さない。
分からなければ、分からないままでいい。
そしていちばん大事なこと。
その感情を、どうしたいのか。
ずっと相手のせいにして、怒りや恨みを抱えたまま生きていきたいのか。
それとも、そこから自由になりたいのか。
選ぶのは、自分です。
■ "波動が上がる"の、本当の意味
アインシュタインが言いました。
「問題は、それを生み出したのと同じ次元では解決できない」と。
スピ界隈ではこれを「波動が上がる」と言い換えます。
ふわっとした言葉に聞こえるかもしれません。
でも、私はこれを、こう定義しています。
同じ出来事が起きても、感情がもう揺さぶられなくなること。
これなら検証できる。
自己欺瞞も効かない。
次に同じ刺激が来たとき、自分が一番よく分かります。
ただし、ここに大事な分岐があります。
感情が動かなくなった、その中身が、抑圧なのか、統合なのか。
見た目は似ていますが、中身は真逆です。
抑圧は、「感じないようにした」だけ。
エネルギーは地下に潜っただけで、突けばまた出てくるし、出てこなくても、身体症状や人間関係の投影として、別の形で噴き出します。
統合は、拒絶していた自分の側面を、「これも私だ」と迎え入れた結果、反応する回路自体がなくなった状態。
見分けるのは、案外簡単です。
抑圧されたままの感情は、まだ誰かを裁いている。
「別に怒ってないけど、あの人は間違っている」という残り香が消えない。
統合された感情の向こう側では、相手の振る舞いを見ても、「そうしてしまう自分も、ありえたな」という感覚が、どこかに立ち上がってくる。
■ 感情は、なくならない
ここで、言葉をひとつ修正させてください。
「感情が動かなくなる」ではなくて、「感情を流せるようになる」。
感情は、消える対象ではありません。一生、湧いてきます。
悲しみは、涙で溶けていく。 笑いは、笑い転げて終わる。
感情は、通過するエネルギーです。なくそうとすること自体が、すでに罠なんです。
ただし、怒りだけは特別です。
悲しみも笑いも、身体は最初から排出装置を持っています。涙腺と横隔膜。
小さい子どもは、悲しめば泣いて、笑えば転げて、五分後にはフラットに戻っている。
でも、怒りだけは、社会的に禁じられやすい。
「怒っちゃダメ」「我慢しなさい」「いい子にして」――悲しんで叱られる子より、怒って叱られる子のほうが、圧倒的に多い。
だから、悲しみと笑いの排出装置は残ったまま大人になるのに、怒りの回路だけが塞がれたまま大人になる。
これが、怒りが溜まるということの正体です。
■ 「感じないふり」を、身体が覚えてしまう
怒りを抑え続けた身体は、ある時、感じないふりを覚えます。
感じそうになった瞬間、呼吸が浅くなる。肩が上がる。お腹が固くなる。意識がふっと飛ぶ。
感情が意識に昇ってくる前に、身体が先回りして遮断するようになる。
だから本人は「怒ってない」と本気で思っている。嘘をついているんじゃなくて、本当に感じていない。
感じなくする装置が、もう作動済みだから。
感情解放のお仕事は、ここをゆっくりとほどいていく作業です。
新しい能力を獲得するのではなくて、子どもの頃は持っていた装置を、取り戻す。
身体が覚え込んだ自動的な止血を、ひとつずつ解除していく。
足し算でも、引き算でもない。
開通工事なんです。
塞がっていた川筋を、もう一度通す。川をなくすのではなく、川を流す。
■ これが、自然体ということ
こうして川が通ると、感情は勝手に流れていきます。
怒りが上がってきたら、身体を通らせる。叫ぶ、動く、震える、書く、声を出す。
通ったあとに、涙が出てくることも多い。怒りの下に、悲しみが溜まっていたりします。
これが、「自然体」という日本語の本当の意味なんだと思います。
何も足さず、何も引かず、水が高いところから低いところへ流れるように、感情が起きては過ぎていく――それだけ。
波動が上がるというのも、何か特別な状態に到達することではなくて、握りしめていたものを手放した結果、自然とそうなっている。そういう引き算の現象なんです。
中今という古い言葉で言えば、自己責任はゴールではなく、通り抜けた先に自然に立ち上がってくるもの。
今この瞬間に降りきれば、古い反応パターンが発火する場所自体が、少しずつなくなっていく。
過去の自分が握っていた感情を、今の自分は、もう握っていない。
だから、流れる。
■ 最後に
もしあなたが今、「相手が悪い」と「すべて自分のせい」のあいだを行ったり来たりして、疲れているなら。
それは、順番を飛ばしているサインかもしれません。
どちらが正しいかではなくて、その前に、まだ流れていない感情がある。
焦らなくていい。 いっぺんに全部ほどこうとしなくていい。
順番に、ひとつずつ。
▼ 次のステップは、あなたに合うものを
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