僕たちは、水一滴も摂取しなかったら死ぬんだよね。 ありんこ一匹でも、

 自分はいままでひどいことをしてきた。 

なんか、ばか。

 いままでやってきたなにか、くだらない。 自分より辛い人なんていくらでもいるのに。

 ありがとう。あなたがいるから、あなたを感じるから、感じる。


 みんなありがとう。


映画『生きる』(黒澤明監督)を見た。


 生きることについて、深く、考えた。

主人公は、末期のがんを患っている。

その、自分がもう命がないことを知ったとき、覚悟をしたとき、人は、自分が生きていることを初めて知るのかもしれない。


死ぬまで自分の魂を燃やして完全燃焼しきった主人公は、きっと、幸福だったに違いない。

僕は、仏教が好きだからその考え方でいうと、生きるということは、

『歩くために歩くのであり、生きるために生きるのだ。』

というお釈迦様の言葉がある。

僕は、それが生きることだと思っていた。

しかし、生きるとは、

一言では言い切ることができない、

いろんな形をしていることを、この映画を見て思った。


生きる人によってその生き方はさまざまであり、簡潔には言えない。


僕も19年生きてきてわかったことは、

この世は、みんなつながっているということ。

目の前のことを一生懸命やる。あそんで、泣いて、喜んで、苦しんで、つらくて、それをとにかく感じること。

自分をよく見て、人を見て、夕焼けに感動することだ。


僕はもう少し生きることについて考えようと思う。


日記を書くのは久しぶりだ。


 僕は、専門学校に通っている。

日本ではめずらしい、時計の専門学校だ。

僕は、入学しに親と面接に行ったとき、『大きい倉庫っ、これが学校?』と思った。

二階建てだ。


正面玄関からのぞくと、左側はクラスルーム、右側は職員室になっている。

二階は、宝飾と眼鏡の教室だ。

クラスは、一年から三年までひとクラスにまとめられていて、それぞれが作業をしたり、先生の話を聞いたりしている。

全校生徒40人に満たない、専門学校としてはめずらしいと思う。


創立昭和44年(1969年)の旧い学校で、毎年6月10日には、時の記念日として、学校の近くにあるお宮でみんなと参列し、記念祭を祝う。

学校で学ぶことは、

時計修理がベースで、一年がボンボン時計、二年生になると、ウォッチ(腕時計・提時計懐中時計)のオーバーホール、三年生はクロノグラフ修理だ。



時計には大きく分けて、メカと、クオーツがある。

クオーツは動力が電気ののに対して、メカはぜんまいで動く。

最近は電波時計の普及がいちじるしく、時間を自動修正してくれる機能を搭載された時計も、市場には多く出回っている。便利な時代になったもんだ。(笑)


僕は、メカが好きだ。

美しい表情をもった文字盤があり、裏をあけるとムーブメントが。

ぜんまいが巻かれ、その動力が歯車へ、歯車がかみ合い、脱進機へと通り、そして心臓である、てんぷをうごかし、秒針をよどみなくうごかしている。そのちいさな部品たちが、みんなひとつとなって、規則的にうごくそのさまは、まさに、アート。芸術品としての価値があり、骨董的価値ももちあわせる。ぼくはそんな『ちいさな宇宙』に感動した。



高校二年生のときだった。

僕は、友達がそれぞれの趣味をもっていたから、そういう自分だけのものがほしいとさがいしていたとき、コンビニで目にした普段読まないような雑誌を手にとって開いてみた。

『これが時計かっ!』

僕が目にしたそれは、、自分の中で、かなりインパクトの強い存在な、物体に感じたのだ。

デファイ・エクストリーム・クロノグラフという名の、イキモノだった。

当時描いていた喫茶店という夢を、時計を作る職業へと変えたのだ。

つづく。