色々と書いておきたい事が自分の中に溢れ出してる昨今ではありますが、まずは15日に行われたてんつくマンのOCでのワークショップの事から。
元々、札幌在住からてんつくマンの活動は知っていた私ですが(地球村の高木さんからも伺っていたり)アメリカに来てからも度々見聞きするので、きっといつかは繋がるのだろうな?と思っておりました。
実家の傍の洞爺村でもワークショップやキャンプをやっていた事も知っていたので、め組ジャパンへの募金を考えてるとクリスマスヤードセールを主催されていた友人Kちゃんとのやりとりで知った時は(ヤードセールの売上金からのドネイション→め組ジャパン)
”こりゃ行かないといけないんだな(笑)”と。
しかも、今カリフォルニアに来てるって!?言うじゃないですか☆
おとーちゃんの膝の検査後、遅れて参加する事になりました。
アメリカに来てから縁があって会う人はみんな、一様に初めて逢った気がしないお仲間ばかりですが、この人もやはりそんな匂いを放っていまして、面白い気が場内に溢れておりました。
中でも印象的だったのが、ありがとうの反対語は何でしょう?という質問。
私もてんつくマンが質問された方(福島正伸さんだったと記憶)に答えた言葉と同じように
”ばかやろー?”
って思ったんですが、ハズレ!
当たり前
なんだそうです。
とっても頷いてしまいました。
私は天の邪鬼ですから感謝する心がとても欠落しとります(自慢)。
それに輪をかけて、すぐに忘れるという特技まであるので、いつも負のループに陥りやすくなるわけですが、一方のおとーちゃんは?というと、ああ見えて?私が寝る時には毎晩のように
「ゴン、俺の妻になってくれてありがとう!」
と言ってくれます。
この言葉だけでどれだけ救われたり、癒されたり、納得出来たか?知れません(爆)
じゃあ、私は?と言えば、思っていてもなかなか言葉を発せない。その分、身の回りの世話ややってる事で評価してよ!とばかりに押し付けがましいわけで、労い方にも柔らかさが乏しい感じです(汗)ま、一種の照れもあるんですが。。。
だけど、それは決して当たり前ではないんですよね。
過去に起こったあらゆる全ての出来事の一つが抜けただけでも今の私もいなければ、こうしておとーちゃんと寄り添う事も出来なかった筈。そんな奇蹟の積み重ねがあって初めて今があるって毎日、毎時間、毎分思ったら?無駄に時間を使う事も躊躇われる事でしょう。
そんな事を改めてワークショップで感じながら、有り難い!有り難い!ってあったかい涙が何を思っても、誰を思っても流れて来たわけです。
答えは全部自分の中にある
と、てんつくマンも言います。
過去に起こった事に×をつけるのも自分、○をつけるのも自分。だったら、出来るだけ○にしていった方が人生はいい方向に転がるっていう単純なルールを意外と多くの人が実践出来ていないのが今です。
私も以前、心療内科に入院した際にある日、オセロの黒いピースが一瞬にしてパタパタと白く変わる瞬間を感じた事がありましたが、それと同じ事をてんつくマンも話していました。きっと誰もがそういうチャンスに巡り会うのでしょうが、そこの感覚に行くまでには結構な壁を乗り越えなくてはいけないかもしれません。要は、自分の中にある既成概念を自分の手で壊すという作業なんですが、これは誰かに先導して貰ってするのではなく、自分でやらないと、ぶつかって越えないと見えないトンネルの先の光みたいなもの。久しくその感覚を忘れていましたが、てんつくマンからまた思い出すきっかけを貰ったと思います。
自分の生い立ちを書き綴る生育歴というのがありまして、入院してすぐにみんな書くんだけど、私は院内初の100ページを越す生い立ちを書いたと驚かれました(笑)あの時は泣きながら手が動かなくなっても自動手記みたいに書かされていたような(汗)
正直な話、もう遥か昔の事のようですが兎に角、それまでの事を紙に吐露してぶちまけていたような感覚だけは覚えています。
ちなみに私の病名は当時、”人格障害”です。摂食障害やパニック障害の患者さんたちには薬や治療法がそれぞれあって、それに乗っ取った治療を受けていたけれど、担当医だった院長ともう一人の医師(二名体制)は、”治療法がないから自分で治すしかない”でした(笑)医者も匙を投げるんだったら自力で治してやる!ってなもんで、どんどん自分の中に入り込んでゆくより仕様がない。それからはオーバードーズにリスカ、過食嘔吐に病院から逃げ出すってのもあった(笑)でも、何処へ行っても自分からは逃げられる筈も無く、最後の最後には観念して自分と向き合う事を受け入れた。他の患者との距離は必ず置き(病人同士が心配し合っても意味無いですから)ノートに思ってる事を書いたり、描いたり、最終的には絶食治療をして固形の食品を一切摂らずにホルモンを入れ替え、12日目に出た重湯にね、
感動しましたよ~!
手もあって、足もあって、まだまだ自分は生きてる!生きてやる!って思った、この時の自分がいたから今の私もいるんです。
死にたいって思ってる人がいたら、まずは断食してみて欲しい。
どれだけ自分の体も心も本当は生きていたいか?に気づけると思います(※ただし、通常の暮らしの中でやるのは非常に難しいし、危険を伴いますのでお寺や断食プログラムのある所と相談してやってみる事をおすすめします)。
もとい、てんつくマンのワークショップですが、そもそも私が心療内科で人格障害という病名をつけられたいくつかの原因の一つには、4歳の時に親戚から性的虐待をうけた事が大きな要因ではありました。今で言うなら性的サバイバーという言われ方になるのだそうですが、万が一、その時にレイプ後殺されていてもおかしくない状況であるにも関わらず生き延びてるからサバイバーなんだそうです。そう考えるとこうして生き延びている事も実は当たり前じゃないって事でもあるし、そのお陰で巡り巡っていろんな感情体験をさせて貰った半生もまたかなり濃厚な?人生だったという自負があります。
過去にもハコミセラピーやトラウマセラピーを受けた事が何度かあった私でしたが、長い事その事はもう整理がついている事と思い込んでおりました。
しかし、今回の瞑想では過去の思い込みを改めて検証する作業と共に、当事者以外の第三者の、或は相手の中にも入り込んで同化するというのもやりました。
最初は息が荒くなって落ち着かなかったけど、深呼吸してそこにフォーカス。
4歳の私はソファに座ってます。足を手持ちぶたさにぶらぶらさせています。タイツを履いてる私の横に、愛犬のリッキー(最初に飼ったシェパード犬)がいるではありませんか!!!!!
そっか!あの時はリッキーも一緒にあそこにいたんだったねーーー(号泣)
リッキーの気持ちに入り込んだら、凄く心配してて、それでも大好きな私の傍を離れないよう、見守ってくれていた。
それから相手のお兄ちゃんの中にも。
すごく混乱しながら、自分をコントロール出来ていなかったり、勉強や家庭での欲求不満が溜まってて何かを傷つけたい破壊の衝動の抑制が出来なくて彼の中が叫んで泣いていた。
今の、44歳の私にはそれを包み込んであげる事が出来るものが自分にあったので、心を彼に沿わせた。彼はただ子供のように泣いた。
終わったんだなぁって思った。
その後、未来からの自分にも逢った。
泣いてる私の左横に座り込み、左腕に手を回す。
未来の私は髪が肩くらいまでで、栗色の温かいセーターを着ている。
顔ははっきり見えないけれど、口元が笑っていて優しい表情でこう言った。
「ほらね、大丈夫でしょ?(笑)」
瞑想中、涙が止めどなく溢れて気づけなかった事や初めて試した事が自分の中で細胞分裂するように完全な形になったのを感じました。
そう、全てが大丈夫になるんです。
今回、いい瞑想と癒しの時間を与えてくれたてんつくマンを始め、関係者の皆さんやそこに至るきっかけをくれた方々に心から感謝です。
みなさん、ありがとうございました!
そして、過去から、未来から来てくれた私自身にも
ありがとう!!!!!
元々、札幌在住からてんつくマンの活動は知っていた私ですが(地球村の高木さんからも伺っていたり)アメリカに来てからも度々見聞きするので、きっといつかは繋がるのだろうな?と思っておりました。
実家の傍の洞爺村でもワークショップやキャンプをやっていた事も知っていたので、め組ジャパンへの募金を考えてるとクリスマスヤードセールを主催されていた友人Kちゃんとのやりとりで知った時は(ヤードセールの売上金からのドネイション→め組ジャパン)
”こりゃ行かないといけないんだな(笑)”と。
しかも、今カリフォルニアに来てるって!?言うじゃないですか☆
おとーちゃんの膝の検査後、遅れて参加する事になりました。
アメリカに来てから縁があって会う人はみんな、一様に初めて逢った気がしないお仲間ばかりですが、この人もやはりそんな匂いを放っていまして、面白い気が場内に溢れておりました。
中でも印象的だったのが、ありがとうの反対語は何でしょう?という質問。
私もてんつくマンが質問された方(福島正伸さんだったと記憶)に答えた言葉と同じように
”ばかやろー?”
って思ったんですが、ハズレ!
当たり前
なんだそうです。
とっても頷いてしまいました。
私は天の邪鬼ですから感謝する心がとても欠落しとります(自慢)。
それに輪をかけて、すぐに忘れるという特技まであるので、いつも負のループに陥りやすくなるわけですが、一方のおとーちゃんは?というと、ああ見えて?私が寝る時には毎晩のように
「ゴン、俺の妻になってくれてありがとう!」
と言ってくれます。
この言葉だけでどれだけ救われたり、癒されたり、納得出来たか?知れません(爆)
じゃあ、私は?と言えば、思っていてもなかなか言葉を発せない。その分、身の回りの世話ややってる事で評価してよ!とばかりに押し付けがましいわけで、労い方にも柔らかさが乏しい感じです(汗)ま、一種の照れもあるんですが。。。
だけど、それは決して当たり前ではないんですよね。
過去に起こったあらゆる全ての出来事の一つが抜けただけでも今の私もいなければ、こうしておとーちゃんと寄り添う事も出来なかった筈。そんな奇蹟の積み重ねがあって初めて今があるって毎日、毎時間、毎分思ったら?無駄に時間を使う事も躊躇われる事でしょう。
そんな事を改めてワークショップで感じながら、有り難い!有り難い!ってあったかい涙が何を思っても、誰を思っても流れて来たわけです。
答えは全部自分の中にある
と、てんつくマンも言います。
過去に起こった事に×をつけるのも自分、○をつけるのも自分。だったら、出来るだけ○にしていった方が人生はいい方向に転がるっていう単純なルールを意外と多くの人が実践出来ていないのが今です。
私も以前、心療内科に入院した際にある日、オセロの黒いピースが一瞬にしてパタパタと白く変わる瞬間を感じた事がありましたが、それと同じ事をてんつくマンも話していました。きっと誰もがそういうチャンスに巡り会うのでしょうが、そこの感覚に行くまでには結構な壁を乗り越えなくてはいけないかもしれません。要は、自分の中にある既成概念を自分の手で壊すという作業なんですが、これは誰かに先導して貰ってするのではなく、自分でやらないと、ぶつかって越えないと見えないトンネルの先の光みたいなもの。久しくその感覚を忘れていましたが、てんつくマンからまた思い出すきっかけを貰ったと思います。
自分の生い立ちを書き綴る生育歴というのがありまして、入院してすぐにみんな書くんだけど、私は院内初の100ページを越す生い立ちを書いたと驚かれました(笑)あの時は泣きながら手が動かなくなっても自動手記みたいに書かされていたような(汗)
正直な話、もう遥か昔の事のようですが兎に角、それまでの事を紙に吐露してぶちまけていたような感覚だけは覚えています。
ちなみに私の病名は当時、”人格障害”です。摂食障害やパニック障害の患者さんたちには薬や治療法がそれぞれあって、それに乗っ取った治療を受けていたけれど、担当医だった院長ともう一人の医師(二名体制)は、”治療法がないから自分で治すしかない”でした(笑)医者も匙を投げるんだったら自力で治してやる!ってなもんで、どんどん自分の中に入り込んでゆくより仕様がない。それからはオーバードーズにリスカ、過食嘔吐に病院から逃げ出すってのもあった(笑)でも、何処へ行っても自分からは逃げられる筈も無く、最後の最後には観念して自分と向き合う事を受け入れた。他の患者との距離は必ず置き(病人同士が心配し合っても意味無いですから)ノートに思ってる事を書いたり、描いたり、最終的には絶食治療をして固形の食品を一切摂らずにホルモンを入れ替え、12日目に出た重湯にね、
感動しましたよ~!
手もあって、足もあって、まだまだ自分は生きてる!生きてやる!って思った、この時の自分がいたから今の私もいるんです。
死にたいって思ってる人がいたら、まずは断食してみて欲しい。
どれだけ自分の体も心も本当は生きていたいか?に気づけると思います(※ただし、通常の暮らしの中でやるのは非常に難しいし、危険を伴いますのでお寺や断食プログラムのある所と相談してやってみる事をおすすめします)。
もとい、てんつくマンのワークショップですが、そもそも私が心療内科で人格障害という病名をつけられたいくつかの原因の一つには、4歳の時に親戚から性的虐待をうけた事が大きな要因ではありました。今で言うなら性的サバイバーという言われ方になるのだそうですが、万が一、その時にレイプ後殺されていてもおかしくない状況であるにも関わらず生き延びてるからサバイバーなんだそうです。そう考えるとこうして生き延びている事も実は当たり前じゃないって事でもあるし、そのお陰で巡り巡っていろんな感情体験をさせて貰った半生もまたかなり濃厚な?人生だったという自負があります。
過去にもハコミセラピーやトラウマセラピーを受けた事が何度かあった私でしたが、長い事その事はもう整理がついている事と思い込んでおりました。
しかし、今回の瞑想では過去の思い込みを改めて検証する作業と共に、当事者以外の第三者の、或は相手の中にも入り込んで同化するというのもやりました。
最初は息が荒くなって落ち着かなかったけど、深呼吸してそこにフォーカス。
4歳の私はソファに座ってます。足を手持ちぶたさにぶらぶらさせています。タイツを履いてる私の横に、愛犬のリッキー(最初に飼ったシェパード犬)がいるではありませんか!!!!!
そっか!あの時はリッキーも一緒にあそこにいたんだったねーーー(号泣)
リッキーの気持ちに入り込んだら、凄く心配してて、それでも大好きな私の傍を離れないよう、見守ってくれていた。
それから相手のお兄ちゃんの中にも。
すごく混乱しながら、自分をコントロール出来ていなかったり、勉強や家庭での欲求不満が溜まってて何かを傷つけたい破壊の衝動の抑制が出来なくて彼の中が叫んで泣いていた。
今の、44歳の私にはそれを包み込んであげる事が出来るものが自分にあったので、心を彼に沿わせた。彼はただ子供のように泣いた。
終わったんだなぁって思った。
その後、未来からの自分にも逢った。
泣いてる私の左横に座り込み、左腕に手を回す。
未来の私は髪が肩くらいまでで、栗色の温かいセーターを着ている。
顔ははっきり見えないけれど、口元が笑っていて優しい表情でこう言った。
「ほらね、大丈夫でしょ?(笑)」
瞑想中、涙が止めどなく溢れて気づけなかった事や初めて試した事が自分の中で細胞分裂するように完全な形になったのを感じました。
そう、全てが大丈夫になるんです。
今回、いい瞑想と癒しの時間を与えてくれたてんつくマンを始め、関係者の皆さんやそこに至るきっかけをくれた方々に心から感謝です。
みなさん、ありがとうございました!
そして、過去から、未来から来てくれた私自身にも
ありがとう!!!!!