今回はコロナ禍真っ只中の病院で、中国人医師の朱氏の奮闘物語です。

 

既に中国で4年間の医師経験があったものの、救急医を目指し、30歳で日本へ。そこから日本の医師国家試験合格まで

4年を費やして現在研修中の身との事。既に結婚しており、娘と奥さんを大阪に残して大隅鹿屋病院(鹿児島県)で単身赴任しています。

 

ただでさえ外国語である日本語で医療という専門用語ばかりの資格を取り、そして患者と日本語で話すというのは正直

誰でもできるような代物ではありません。それを決意して家族で日本へ飛び出してきたのはどういう理由があるのでしょうか。

 

でもさすがに信念をもってやられているのか、すごく温厚、かつ真面目に仕事をされていてすごく好感は持てました。

最後にまた別の離島の病院に配属されたのですが、そこで偉そうに救急受け入れは全部自分の判断だ、でもここしか受け入れる

病院は無いから受け入れないという選択肢は無い!と言っていた女医が感じ悪かった。ならはじめから受け入れる以外無いと言えばいいでしょうに。

 

これからも頑張っていって欲しい。