現在、疲れた頭と心を癒してくれる静かな空間を求めている。
それは無理な話なのか。
先日、俳人 大森健司先生と、宮尾登美子原作「櫂」の映画版五社英雄監督『櫂』の緒形拳と十朱幸代談義で盛り上がったことを思い出した。
高知を舞台に大正、昭和時代の女衒一家の波乱に満ちた一生、そして夫と妻の心のすれ違いによる別離を見事に女衒の夫役である緒形拳、妻役の十朱幸代が演じている。
高知はあいにく知人がいないので、仕事にカコつけて京都へ…。
映画に出てくる十朱幸代みたいな芸者さんはいないのと大森氏にリクエストしたら、
「京都だけは芸妓というんですよ」
という返答。なんとも良いではないか。
「お座敷は敷居が高いから、お茶屋BARでどうですか」
と提案され、祇園甲部のとある有名お茶屋BAR人生初デビュー!!!
お茶屋さんとはいわゆる置屋さんで、その一角にBARスペースがあり、お座敷がハネた舞妓さんや芸妓さんがカウンター越しにお酌してくれる、なんとも魅惑的な空間なんですな。
お茶屋のお母さんに良く教育されているだけあり、絶妙な間合いで合いの手を入れてくれ、とても全員年下女性と思えない落ち着きです。
そして大森健司先生の御力で真打ち登場!
いわゆるお茶屋のお母さんです!
お母さんの気風の良い会話から学ぶことだらけで魅了され、あっと言う間に時は過ぎたわけです。
櫂は三年櫨は三月…
どうせ行くなら櫂でありたいという結論に達した次第です。
映画『櫂』の中で十朱幸代演じる喜和は緒形拳演じる女衒の岩伍に嫁いだものの、その稼業を疎んじ、岩伍はやれ出世だ実業家だと、女を何人も作っては挙句の果てに私生児を喜和におしつけ、いつしか二人の心は離れてしまう。
それでも喜和(十朱幸代)は、
櫂で漕ぎ続けるかのように意地を通し、指針を見失ったかのように憤る岩伍(緒形拳)。
そういえば、私が最初に誓った仕事の理念はと、ふと考えさせられる映画であり、愛した記憶は何処へ向かうのかなんて考えてみたりなんかして。
遠泳や 鳥は記憶を なくしたり 大森健司
大森健司氏の俳句、渋いですね。そして、彼の後からこみあげてくる寂寥感が読み手の胸を締め付けて止まないのです。
『櫂』の映画を見て、ふとブログのこの作品を思い出したのでした。
そしてどこか『櫂』の緒形拳と俳人大森健司氏がかぶるのでありました。
素人ながらこれは名句では、と思う次第です。
⇨to be continued
写真は講義前の大森健司先生(御本人の承諾を得て掲載)



