自分の中の矛盾に気づき

だいぶ楽になりました。


歌のレッスンをして生きていて

レッスンをすることがとても楽しいのだけれど

それが誰に対してでもそうではなくて

なぜなのだろう?と。


今の世の中では

歌のレッスンも含めて

音楽のレッスンが非常に手軽で気楽に受けられるものになって

それはとても良いことの反面

私にとっては良くないと感じることが多くて

それでずっと悶々としていました。


その悩みの始まりと言えば

もう10年ぐらい前かもしれません爆笑


先日、知り合いから聞いた話で

台湾人の友達か誰かに

「なぜピアノをわざわざ習うの?家にピアノがあれば勝手に自由に弾いていれば良くない?

ピアノのレッスン受けるのはピアニストとか専門的なこと目指す人だけじゃないの?」

と言われたそうです。


ピアノはまだ楽器を操るという点で

習うのは意味があると思えます。


もちろん趣味で真剣に思った通りに弾けるようになりたいという思いで習う人もたくさんいると思います。


ただ、歌は現状の自分の歌に満足していない人以外はまず習う必要がないものだと思うんです。


向上を目指さない状態でレッスンに来れるのは

ある意味、裕福になり過ぎた人たちの

贅沢なのかな?と私は思ってしまいます。


昨日はアンサンブルの練習でした。

その中で「あなたの声に合うキー」と言われて

ハッとしました。


私は声楽を学んでいる中で

作曲家が残してくれた音楽を

その通りに歌いたいという思いがどんどん強くなりました。


特にブラームスの歌曲は歌いたいと感じる曲が多く

ブラームスがはじめに作った調(原調)で歌うためには

下のラから上のラまで

2オクターブは確実に充実した声が出せるようにならないと歌えないと思いました。


リヒャルト・シュトラウスの歌曲も高音が澄んだ美しい声が出せないと歌えないと思いました。


私はいつもその曲をその曲として歌えることを目指しています。


だから私の声に合う調という発想はありません。

(もちろんコンサートで歌うには音域に無理のない、私の声の特徴が生きる曲【原調のもの】を選びます。)


それはもっとワガママ言えるぐらいの実力のある人が考えることと思っています。

もしくは偉大な作曲家がこの人に歌って欲しいとその人の声に合うように自ら編曲するようなものと思っています。


その考えを人に強要するつもりはありませんが

私は声楽、クラシック音楽を学ぶなら

そういう意識は少しずつでも誰にでも普通に生まれるものと思っていました。


カラオケや他ジャンルのように

キーを自由に変えて歌うのだったら

それこそレッスンを受ける意味は更に半減するでしょうね。


だから歌のレッスンは自分の楽なキーで気持ちよく歌えたら良いと思ってる人には習う理由なんて非常に少ないと思います。


何かしら解決したいことがあったり

チャレンジしたいことがあったり

知りたいことがあったり

新しいことができるようになる喜びを求めていたり


そういう人は何としても

自分に合う先生を探すでしょう。


今はそういう生徒さんがレッスンを受けてくださってると感じますおねがい


集客のためにSNSに投稿して

気楽さや気軽さをうたっていることが

自分の意思にすごく反しているからしんどかったんだと気づきました。

演奏動画の投稿は今後もしますけどね爆笑


本当に悩んでいる人には

本当に気軽に気楽に

尋ねて欲しいと思っています。


今の私は表舞台に立つことが多くなってきていますので

足を運べる方は実際に私の歌を聴いて頂いて

または

声かけていただけたらと思います。


雑談だけでも悩み解決出来るかもしれません(笑)



アンサンブルの練習では

3時間弱

かなりの曲数を歌いました。


以前と歌う意識をだいぶ変えて臨みました。

そちらの方が自分には無理がなく

声も自分らしいと思えましたウインク


そして、何よりも楽しかったです音譜


全ては自分の行動や思考がもたらすものと

また良い確かめが出来ました。


自分が無理したり

枠に縛られたりしていると

しんどくなります。


今朝の朝ごはんのミックスジュース🍹