宿命と現実のFit&Gap

宿命と現実のFit&Gap

算命学を中心に、万象学や易学などをまなんでいます。
満たされた気持ちで生きていくために、私たちは何をどう考えれば良いのか・・・
学びの中から心にのぼる事々を、気まぐれに綴ります。

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古代中国の五行思想では、万物はすべて木、火、土、金、水の五つの元素とそれらの関わり合いから成るとされている。
仏教にも五つの元素という考え方があるが、こちらの五大元素は地、水、火、風、空である。そして古代ギリシャにおいては、空気、火、土、水にエーテルを加えた五つを五大元素としている。

仏教と古代ギリシャの思想がともに風・空気といった概念を五大元素に入れているのに対して、古代中国の五行だけが空気ではなく「木」を取り入れている。
同じ人間が同じように自然を観察して「五大元素」という概念を見出したのに、その構成要素がそれぞれ異なるというのが、私にはとても興味深い。

算命学を学び始めたばかりの頃、「木、火、土、金、水の五つを五行と呼ぶ」という説明を本で読み、
「木だけが仲間外れだなぁ」
と感じたのを覚えている。五つの元素の中で、木だけが命を持っている。木だけがそれ単体で変質しうる。木だけがdynamicで、他の四つはstatic。
五つの中で「木」だけがやや異質なものであるように、私には思えたのである。

それは人間である私の視点から感じることなのであって、神様の目から見れば、火も水も土も金も同じなのかもしれないけれど、人である私の脳で考えると、五つ目の元素は木よりも風の方がなんとなくしっくりくる。


「なぜ古代中国人は、空気ではなく「木」を五つ目の元素に選んだのだろう?」
――これが、最近私が脳を遊ばせる時の題材のひとつになっている。
何らかの文献を当たればその答え、あるいはヒントは見つかるのかもしれないけれど、せっかくの面白いテーマなので、正解を得る前にあれこれ考えて楽しみたいと思っている。



※この記事は、私のもう一つのブログからの転載です。
引き寄せの法則、という考え方がある。
求めるものに意識を集中して強く祈れば(願えば)、それを引き寄せる事ができる、というものだ。

私も長いことこの考え方を信じてきたのだが、最近になって、「人が何かを引き寄せている」のではなく「対象が人を引き寄せている」のではないか、と思うようになった。

算命学では、すべての人は何らかの宿命を持って生まれてくるとされている。
宿命は、その人が生きるべき人生の設計図のようなもの、と言っても良いかもしれない。宿命は変えることができないものだが、人は生き方を選ぶことができる。そのため、本来宿命で定められた生き方とは少しずれた生き方を選んでしまう事もあるのだが、持って生まれた宿命通りに生きた方が生きやすく、満足度の高い人生になるといわれている。

おかしなたとえかもしれないけれど、メモリとして作られた部品はメモリとして使われるのが一番自然なのである。メモリはそのままではCPUにはなれないし、キーボードとして使うこともできない。
どうしてもそういう使い方をしようとしたら、色々な無理をしなくてはならないだろう。
メモリとして生まれた部品の宿命は、メモリとして働くことであり、それが一番自然であたりまえな姿なのだ。


人間も、そのようななんらかの宿命を受けて生まれてきているのだと思う。
そうした宿命から離れた生き方をしている時、「あるべき場所へ戻りなさい」という、天からのメッセージがこっそり心に届けられる。でも、多くの人はそうしたメッセージが天から届くものであることには気付かず、純粋に自分の内部から湧きあがった「願い」「祈り」として認識するのではないだろうか。

そうやって心に芽生えた「祈り」を唱え、願い続けているうちに、人は次第に本来あるべき場所へ還っていく。

人が何かを引き寄せるのではなく、宿命が人を引き寄せる。
「引き寄せの法則」という考え方について、最近私が感じているのはそんなような事である。


※この記事は、私のもう一つのブログからの転載です。
先日、Facebookのお友達からシェアされてきた記事。


『「やっぱ無理……」心が折れやすい人は、なぜ折れやすいのか』


習慣化コンサルタントの古川さんという方が書かれている記事で、スポーツや将棋など、勝負の世界で活躍するスーパーマンの思考習慣を研究した上で、「心が折れやすい人」と「逆境に強い人」の違いが紹介されている。

曰く、心の弱い人の思考習慣は下記のようなもので、

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(引用)
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「いつも誰かと比較して自分の欠点ばかり見ている」
「相手の嫌な面ばかり見て、相手が全て悪いんだと思い込んでいる」
「漠然とした不安や心配を堂々巡りさせている」
「視野が狭くいろいろな視点から物事を見つめられない」
「物事を先延ばしにして、行動できない」
「自分ではどうしようもない環境にばかり愚痴をいっている」
「完璧にやろうとしすぎて疲弊する」
「過去の失敗にずっとクヨクヨしている」
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逆境に強い人には次のような思考習慣を持つ傾向があるという。

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(引用)
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【習慣1.等身大の自分を受け入れている】 
【習慣2.相手を変えず見方を変える】 
【習慣3.徹底的に具体化する】 
【習慣4.さまざまな視点から眺める】
【習慣5.できることに集中する】 
【習慣6.運命を引き受ける】 
【習慣7.完璧主義をやめる】 
【習慣8.プラスの側面を見る】 
【習慣9.「今」に集中する】
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いずれも読めば「なるほど」と思うし、間違ったことは書かれていないと思う。
私自身がどちらかというと「心が折れやすい」方であり、数年前の私なら、この記事に感化されて「よし、逆境の強い人を見習おう!」と決意に燃えたかもしれない。

でも、算命学をきっかけとして人の宿命ということを考えるようになって、人の思考・行動パターンというのはパソコンのOSのように生まれ持ったものであり、本質的な部分はそうやすやすと変えることができないのかもしれない、というか、無理に変える必要もないのかもしれない、と考えるようになった。



たとえばここに挙げられている、

「いつも誰かと比較して自分の欠点ばかり見ている」

これなどは木性、特に乙木の性質に由来する所がありそうに思える。
乙木というのは草花で、草花は自分自身はか弱いため、集団を作って人とともに生きていく。人と協調して生きてゆくためには、人と自分を対比させながら世界を把握するという思考が不可欠だ。木性の「気苦労が多い」という性質も、それを倍加させるかもしれない。
あくまでも五行の性質だけを見た場合の話ではあるけれど、人の目を気にせず我が道を邁進する庚金の人には、人と自分を比べてクヨクヨするようなところはあまり出ないのではないかと想像する。

陽占の構造側から考えると、無意識に対象に気持ちが流れ込む調舒星、自己同一化により世界を構築しようとする石門星に、そういった傾向が現れやすいかもしれない。


私は別に、「自分はこういう宿命だから仕方がない」とすべてを諦めて受け入れろ、などと言いたいわけではない。
自分にはそういう傾向があるのだ、ということを把握し、それが苦しいのなら極力気持ちがその方向に向かわないように工夫する、ということは確かにできるかもしれない。
けれど、自身の本質を根本的に変えるのは概して骨の折れることで、失敗したメイクを手直しするように簡単にできることではない。

人はこの世の中で様々なことを学び、成長し、より良い自分となるために生まれてくる。より良い自分、理想の自分に近づくために葛藤し、努力するのは、生きる上で大切なことだろう。
ただ、その「より良い自分」が何なのかは人それぞれ異なるのだから、それを見極めた上で、あるべき方向へ成長していく方が理にかなっているのではないかと思うのである。


「心が折れやすい」というのは字面だけ見ると弱点のように見えるが、別の視点から眺めれば長所にもなりうる。
困難を乗り越え、強いパワーで障害を切り崩しつつひたすら前進する人生もあるし、蔓草のように「伸びやすい場所」「入り込みやすいところ」を見つけながら、流れに任せて臨機応変に進んでゆく人生もある。
後者の宿命を持って生まれた人にとって、心の折れやすさは「自分に向かないものを切り捨てるあきらめの良さ」のような形でプラスに働くかもしれない。


そういう意味で、自分がどのような宿命をもってこの世に生まれてきたのかを知る事には意味があるのではないかと考えている。今ある自分(AsIs)と宿命(ToBe)とのFit&Gap分析をすることで、なぜ心が満たされないのか、色々なことが上手くいかないのか、どうすればそれが改善されるのかがなんとなく見えてくる。

あまりうまく言えないけれど、私が算命学に魅せられる背景には、そういうことがあるのだろうな、となんとなくそんな風に感じている。


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※敢えて書かなくても分かってもらえるだろうとは思うけれど念のためにお断りしておくと、このエントリの趣旨は古川氏の記事を批判することにはありません。

※この記事は、私のもう一つのブログからの転載です。