LGBTやセクシャルマイノリティー(性的少数者)という人種がいるかのような見解で人権活動をしてしまうとまるで一部の特異な人たちがいるかのような見解をはびこらせてしまい、かえって偏見や差別的見解を増幅させてしまいます。(現にそのようになってしまいつつあります)


『 同性を好きになることは何もおかしくもなんでもない“こと”やジェンダーに囚われない“こと” などの “ 考え方 ” を理解すればいいだけのこと 』 なのです。


アメリカなどの諸外国では社会事情によりLGBTという人たちがいるかのような方向で法的権利獲得を目指さなければならないわけなのです。


日本の場合は◯◯◯◯なわけだから諸外国にとっては難しいその事情を乗り越え、まっすぐにしかもシンプルに進めてゆくことが可能なのであります。


そして、世界に冠たるダイバーシティな社会を担うロールモデルな地域にしてゆくことも可能なんだけどな。


けど、現状は、、


「(諸外国の)みんながそうしてるから、自分たちもそうしよう〜」としてしまい物事を根本的なところから考察することができず、迂遠な方向に振りまわしてしまっているように思います。


あのですね、、


ジェンダーベースで考えてるから トランスジェンダーだの シスジェンダーだのという概念が発生してしまうねん。


この両者は、上部の慣行に振りまわされた考えなわけだから、いわば、ハシゴをとっばらった屋根の上でギャースカ言いあいをしているようなものです。根本的なところから考えられてないねん。


ジェンダー(男らしさ・女らしさ)というものは、時代や状況とともに変化するものであるし、定まったものでもない。


定められますか?


定められるというのなら、男として生きるとはどういうことか、女として生きるとはどういうことか、その定義を説明してみてくださいな。


時代や状況とともに変化するものをアイデンティティーとして固定的に決めつけようとするといづれ生きづらくなるのは自明の理である。


しかし、なぜこんなにもトランスジェンダーだのシスジェンダーだのとジェンダーベースで考えてしまう人が多いのでしょうか。


なぜこんなにも “ 男らしさ・女らしさ ” に振りまわされる人が多いのでしょうか。


なぜこんなにも“情報”に振りまわされるばかりの人が多いのでしょうか。


そんな人たちがいる方が得する人がいるのかもしれませんが、人をあやつる側のせいにするのではなく、自らの中に答えを求めるようにした方がいいと思います。


外に答えを求めてしまうとまた何かに振りまわされるだろうから。


けど、そんな囚われた側から逸脱し、枠に嵌らない考えをし、行動域を広げ、今よりももっともっと社会を創造的にしていきたいと思うのならば、、


カナエ軍曹の『ジェンダーにとらわれない生き方・考え方』のDVD6巻セットはまだ発売未定なので、とりあえずセミナーにご参加くださいませ。


カナエ論はあくまで自発的な意識を持っていただくためのキッカケづくりにすぎませんけど。


ただし、ジェンダーから逸脱すると周囲に振りまわされるばかりの家畜のような状態から解放されて自由が手に入りますすが、、


そのかわり、孤独と戦う気概も必要となってくるかもしれません。


そのあたりについては、ゴーダマ・シッダルタさんにお願いしようかと思っています🙇‍♀️


(この記事に対しての考察であります↓↓)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190609-00010001-bfj-soci


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190609-00010001-bfj-soci

何をかくそう。 このカナエ軍曹は何年も前に「ミス・たつの」および「姫路 お城の◯王」に応募したことがあるのだ。


その目的はジェンダーに囚われた地域性や固定的な性別役割分業意識を払拭する呼びかけをするためであったのだ。


そうか、、


そのカナエ軍曹の呼びかけが通じたのか(どうかはわかりませんが)、高知市がそのあたりに着手されましたか↓↓


( 高知市観光協会は、市の観光PRをする「ミス高知観光キャンペーンレディー」の応募資格から性別や結婚の有無の項目をなくす )

https://www.asahi.com/articles/ASM4L4GBXM4LPLPB002.html


https://www.asahi.com/articles/ASM4L4GBXM4LPLPB002.html