あのですね、、
ジェンダーベースで考えてるから トランスジェンダーだの シスジェンダーだのという概念が発生してしまうねん。
この両者は、上部の慣行に振りまわされた考えなわけだから、いわば、ハシゴをとっばらった屋根の上でギャースカ言いあいをしているようなものです。根本的なところから考えられてないねん。
ジェンダー(男らしさ・女らしさ)というものは、時代や状況とともに変化するものであるし、定まったものでもない。
定められますか?
定められるというのなら、男として生きるとはどういうことか、女として生きるとはどういうことか、その定義を説明してみてくださいな。
時代や状況とともに変化するものをアイデンティティーとして固定的に決めつけようとするといづれ生きづらくなるのは自明の理である。
しかし、なぜこんなにもトランスジェンダーだのシスジェンダーだのとジェンダーベースで考えてしまう人が多いのでしょうか。
なぜこんなにも “ 男らしさ・女らしさ ” に振りまわされる人が多いのでしょうか。
なぜこんなにも“情報”に振りまわされるばかりの人が多いのでしょうか。
そんな人たちがいる方が得する人がいるのかもしれませんが、人をあやつる側のせいにするのではなく、自らの中に答えを求めるようにした方がいいと思います。
外に答えを求めてしまうとまた何かに振りまわされるだろうから。
けど、そんな囚われた側から逸脱し、枠に嵌らない考えをし、行動域を広げ、今よりももっともっと社会を創造的にしていきたいと思うのならば、、
カナエ軍曹の『ジェンダーにとらわれない生き方・考え方』のDVD6巻セットはまだ発売未定なので、とりあえずセミナーにご参加くださいませ。
カナエ論はあくまで自発的な意識を持っていただくためのキッカケづくりにすぎませんけど。
ただし、ジェンダーから逸脱すると周囲に振りまわされるばかりの家畜のような状態から解放されて自由が手に入りますすが、、
そのかわり、孤独と戦う気概も必要となってくるかもしれません。
そのあたりについては、ゴーダマ・シッダルタさんにお願いしようかと思っています🙇♀️
(この記事に対しての考察であります↓↓)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190609-00010001-bfj-soci
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