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お久しぶりの!ブログでございます!

ちょっと遠出してますがお生憎暇なので....


今日は結構真面目な話題について話そうかな?

「道徳の授業」ってなんなんだろうな~っていうお話です。


なんでこの話を今するかと言うと本当についさっき夢でこの話を見て「ああ、こんな事あったな」って思い出したからです。


これは私の小学校の時の本当の話です。


昔から道徳の授業は好きでも嫌いでもありませんでした。道徳の教科書にいろんなお話が載ってるのでみんながあーだこーだと議論している時に全然関係ないページを本のように読むことがとても好きでした。


授業内容はお話を読んだ感想とか、主人公の気持ちとか、どうしたらよかったか?とか、自分ならどうするかみたいな授業でなんだか国語みたいだなと思っていた記憶があります。



ある日学校で「研究授業」というのがありました。担任の先生が道徳の授業の研究をしている人でその成果を発揮すべく教育委員会の人達とか色々呼んで授業しました。授業参観の保護者が教育委員会の人に変わっただけみたいな感じでした。


内容は全くと言っていいほど忘れてしまったけど私はその授業に特段興味も無かったのでいつも通り聞き流しながら違うページをパラパラ読んで過ごしてました。



授業の最後に「未来の自分に手紙を書きましょう」って時間があってそれが提出物でした。

先生の意図としては授業の事を踏まえて書いて欲しかったんでしょうが、さすがは私全てを無視して普通に未来の自分に手紙を書き出しまして。


しまいには一番最後に「これを読んだら同窓会を開きましょう」と書きまして。


まあそのまま提出した訳ですよ。


そして何日か経ちまして。



担任の先生に急に呼び出されました。先生は若干怒っていました。


普段から宿題をやってこなかったり(めんどくさかったから)してたので珍しい事では無かったのですがその日は思い当たる節もないので疑問に思いました。
すると先生はこうおっしゃいました。
「この前書いてもらった道徳の授業プリントだけど、あれでは受け取れません。授業で学んだことが何も書かれていない。頭のいいあなたなら授業の意図くらいわかるでしょ?」
と言われ書き直しを命じられました。


自分で言うのも恐縮ですがクラスでトップ層の成績だったのでさぞかし期待してたのでしょう。ごめんね先生の顔を立てなくて。


授業の意図はわかっていたのですが別に興味もなかったので書きたいことを書いてました。


まあそれでとやかく言われるのも癪なので授業で言われたことを思い出して適当に書いて出した記憶があります。



道徳の授業に元から不信感を抱いてはいましたがこの件を境に道徳の授業とは「先生の意図を当てる時間」と化していました。

それ以来道徳の授業中に別のページを読んでいると故意的に当てられたり隣の人にチェックさせたりするんですよね。まあ私は意図がわかってて好き勝手やってたので授業自体丸潰しにしたりしてましたが....



昔Twitterで「道徳でテーブルマナーや冠婚葬祭のマナーを教えるべき」と言ってるのを見て深く頷いたものです。

あとはだしのゲンを見た時は子供ながらに衝撃だったし戦争関連の本を読むようになったきっかけでもあるのでああいうのはとても大事だと思います。



ここまで話したけど今って道徳の授業あるのかな?