何かを表現しようというとき。

 

絶対これがいい!と明確なときもあれば

どっちもいいねというときもあるし

どれもいまいちだけどじゃぁどうしたものか…というときも

いろんな‟とき”があります。

 

迷います(苦笑)

 

決断するって難しいことのように思うけど、どのみち

そのとき生まれるべくして生まれるものが生まれことになってる

 

そう思うようになったら、迷うことも含めて

‟どうあってもいい”が板についてきたような気がします。

 

何かひとつの結果への固執や

そうならないことへの恐れが

薄まってきました。


 

 

そこに連れて行ってくれたのは、

‟思うようにいかない”も含めて

それでもできたらいいねと思うことを

やり続けた経験。

(それを見せてもらえていることも)

 

どうしたところでいろんなことがあるもんだよね

ってことがわかってくる。もう、

 

どうだったらいい?に向かってやるだけやって、

起きたことから感じることを引き受けるだけ。

 

わたしたちは万能だけど万能じゃない。

なんでも思い通りにいかせる万能さはないけど

なんでも吸収していける万能さがある。

 

臆病でなまけたがりの私は、みんなといることでそれを体験させてもらっています。

 

プラネタリウム朗読会の一コマ

 

「やるだけやった」

 

そこにつながるのに、

本当の気持ちで交流することは

かげないのないピース

だと思っている。

 

手や足を動かすこともそうだけど

それを起こすのは手前にある気持ちの交流。

 

そこまで気にすることじゃないかも

ここまでしたら迷惑かも

私が言うことじゃないかも

 

ふと湧いたものを打ち消すあれこれ。

それも含めて生まれるものが生まれて…ってことなんだけど(笑)

 

どっちでもいいなら正直にいたい。

 

「私は闇に紛れて弾きます」って言ってたら、写真でほんとに闇に紛れてた件

(右側におります)

 

本番直前まであぁしようこうしようを吟味しつつ…

 

今回は本番に誰一人欠けることなく

大成功!をかみしめられるものになって何よりでした。

 

やるだけやったと思うほどに

これぞというものができたのなら。

そのままにお届けしたいよね~って気持ちもとはいえ隠せない。

 

あぁ、固執しなくなったっていってたの誰。

 

たくさんのお客様と

受付お手伝いしてくださった皆さんと

 

最後に残っていた一緒に作った皆さんとパチリ。

ありがとうございました。

 

 

本当の気持ちの交流をしたいのなら

まずは自分の気持ちに気づいているという正直さを

 

そこからしたくなったことをやるだけやる。

「言わないことにする」もやる。

「任せることにする」もやる。

 

形あるものは時と共に過ぎ去っても、交流の感覚は残る。

 

そこに‟幸せ”があるような気すらしています。